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古本屋日誌
中学受験の進学塾、日能研関西の最初の過労死事件を考えている。
2000年1月末に自宅でくも膜下出血で倒れて搬送されるまで、酒井(職責は算数課の課長)は50日以上休んでいなかった。
当然肉体的、精神的疲労が蓄積して様々な身体の不具合があったと思う。
ここに二つ目の注意すべき点があると思うのだ。
それは、くも膜下出血という病気はひどくしんどい時と体調が戻る時が交互に現れるということなのだ。
1月の統一入試が終わり、その後、後期日程でダラダラ入学試験が続いていたのだが、日能研関西では(他の塾もそうなのだが)試験当日、生徒の集合の1時間前に教師も集まって「激励」する習慣があった。
それで酒井も日能研上本町校で授業を終えて、その翌日大阪市内の、ある中学校の入学試験の激励に早朝から行くシフトになっていた。
彼はその時門戸厄神に住んでいたので、大変だと思い、わしが「今日はわしの家に泊まったらええやん、サッカーの試合も見れるし」(俺はその時、千林に住んでいた)と誘ってみたが「いや、激励の道具(日能研の小旗やネーム入りの腕章のこと)を持ってきてないから」と言って断られた。
地下鉄谷町線に2人で乗って東梅田駅に着くと、彼はそこで下車して阪急に乗り換えるのだが、しばらく、3秒くらい立ち上がれなくて、その後も力を振り絞るようにやっとこさ立って降りていったのだ。
そんなに体調がすぐれないんだったら、仕事なんか何の意味もないし、すぐに医者にかかったほうがいいよね。
ところが酒井はそうしていない、これはおかしなことに思える。
いくら体力に自信があるといっても、地下鉄の下車駅でしばらく立ち上がれないほどしんどいわけだから、まずいと普通は思うところだ。
ところが、そのしんどそうだった日からしばらくして、上本町校でまた酒井に会う機会があった。
日能研では、行われた入学試験の問題を入手して、直ちに模範解答を作成する(どこの塾でもそうだろうけどね)のだが、酒井がある中学の入試問題を手にして、控え室に入ってきて、後ろには若手の算数の職員を従えていて、張り切った声で「付き合わせ‼️付き合わせ‼️」という。
自分の作った答えを他の先生のそれと比べて正確さを期そうというわけだが、顔色も良く、テカテカ光っていて、とても先日のしんどそうな様子はかいまみられなかった。
その時ちょうど新入社員の子もいて、わざわざ酒井が俺に紹介してくれたので「いつもね、酒井先生にはお世話になりっぱなしなんよ」という話もして、彼は楽しそうに聞いていた。
というわけで、このくも膜下出血という病気の特性には目を向けておかないといけないと思うのだ。