Welcome
古本屋日誌
精神科医の春日武彦は相変わらず面白い本を出している。朝日新書の『死の瞬間』も興味深い。
洋の東西を問わぬ博捜で、さまざまな文学作品から臨終のシーンがどう描いてあるのかを調べて分析する本だ。
加能作次郎の小説を引用するところはさすがだ。
主人公は、能登の漁師なんだが、急なシケで海が荒れてたくさんの漁船が転覆してしまった。彼も行方不明になるのだが、まだ新婚の嫁が残されてしまう。
しばらくして浜に土左衛門が上がるのだが、とうがたってしまったために、容易に識別できる状態ではない。
能登のこの村には、ある言い伝えがあって、それは「土左衛門と額にくちびるをつけてみて、引っ付いたらそれは近しい人だ」というものだ。
嫁はかけてある筵をめくってなめてみるのだが、取り巻く村人が「どうやった❓」と口々に聞いてくるのを遮って「くっつきはしたけど、これは夫やない」と怒りの眼差しで答えるのだ。
春日はこれを分析して、言い伝えは要するに本当に肉親かどうかはわからないが、いつまでも悩んだり、悲しんだりしていても仕方がないから、どこかで踏ん切りをつけるための儀式みたいなものだろうという。
確かに土左衛門が夫だと認めてしまえば、それはとりも直さず夫が死んでしまったことを確認するに他ならない、だから嫁はそれを拒んだということだ。
それにしても春日武彦は東京都立松沢病院の院長を前にしていたと略歴にあるのは驚かされる。
松沢病院は例の葦原将軍や熊沢天皇で名高いのだが、昔から有名な大病院であるためいろんなタイプのややこしい患者がやってくるわけだよ。
当然あれやこれや問題山積みとなるはずで、院長という立場ではそれぞれにコミットせざるを得ず、精神的にも肉体的にも疲労が蓄積しそうだ。
春日武彦は小説好きなのだが、ようやく仕事を終えて帰宅して、俺が思うには、すぐ集中して本が読める人なんだろう。
俺なんか仕事上がりは興奮状態だから、しばらくクールダウンし、ぼんやりして何もしないで時間を取らないと次のステップには進めないものだから、おそらくクールダウンの必要なく、すぐに切り替えて次の作業に取りかかれる春日武彦は驚異だ。