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古本屋日誌
銀閣寺の近くで古本屋『善行堂』をやっている山本善行には、古本集めについての著作がある。
新潮新書からも出ているが、みずのわ出版からでた『古本泣き笑い日記』は興味深い。
この本は山本が、古本屋になる前、塾の先生をしながら、文学書集めるため、毎日京都や大阪の古本屋に通ったり、古本市につめかけたりしていた時代のことを書いている。
つまり文学書コレクターの話なのだ。
古本コレクターの話はさして珍しくはない。
全国の古本屋の目録を掲載している『日本古書通信』にはその手の話がよく載っていた。
しかしそれは熱海に『古今和歌集』の室町時代の写本を買いに行く話であり、3500万で手に入れたとか、入手した本を読んでいる時間など勿体無い、そんなことをしていては集まるものも集められないとかいう、世俗を超越した内容だ。
もちろん、それはそれで面白いのだが、山本の本はコレクター道に精進のしかたがいじましくて親近感を覚える。
百万遍の古本まつりで臨川書店のブルーシートで覆われた平台の前に、その他のコレクターと押し合いへし合いしながら、場所を確保する話、ブルーシートの上から本をさわり、感触からお目当ての本の位置を感じ取ろうとする話なんかバカバカしくて大笑いしたよ。
そして、1番良いのは山本がどこか後ろめたさや、やましさを常に感じているところだな。
俺からしたら、何故大江健三郎の本が『夜よゆるやかに歩め』しか触れられていないのか(20世紀を代表する大江には『個人的な体験』とか、『奇妙な仕事』とか、これは21世紀のものだが『水死』とか素晴らしい作品がある。そしてそれらはいずれも文庫で簡単に読める。)全く理解できないな。
また東野圭吾だって『容疑者Xの献身』はくだらないけど『白夜行』なんか本当に素晴らしい作品で、しかも100円くらいで古本の文庫が買えるわけで、俺にはこういう作品を取り上げないのが不思議なのだ。
でも小説はつまりは好みだからそれは仕方ないかもしれない。
そういう好みの違いはあるものの、山本の本で感心したのは、決して「古本原理主義」に陥ってないところだ。
映画が好きな人はともすれば、いい映画をみたら、揉め事なんかスッキリ解決するというような、あの『美味しんぼ』の料理原理主義みたいな考えの人がたくさんいる。
俺はそういう思い上がったバカは嫌いなのだ。いい本をどんどん読んでも、それは個人の楽しみでしかないのは当たり前のことだ。
家族や周りの人からしたら、「あんたあんじょうしごとしなはらんかいな」とか「得体のしれんバカだな」と思われるだけだろう。