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古本屋日誌

2024-09-15 10:48:00

梶川敏夫の『ビジュアル再現 平安京』には現在、熊野寮となっている場所に白川北殿があったことが書いてある。

 

 

このことは知っていた(寮内に石碑があるから)のだが、保元の乱の現場であったことは知らなかった。

 

 

この本によれば、保元元年(1156年)7月2日に鳥羽法皇が死に、世情不安となり、10日には、崇徳上皇が鳥羽離宮の田中殿を出て、白川北殿に入り、藤原頼長、源為義、源為朝、平忠常ら軍勢1000騎を集めて上皇方の本拠となった。

 

 

ところが7月11日未明、後白河天皇方の平清盛、源義朝らの軍勢がこの北殿に夜襲をかけたことにより、建物は全焼、その結果崇徳上皇は讃岐に配流された。

 

なるほど、そういう由緒のある場所なのね。

 

熊野寮が建ったのは1970年だから、その当時京都市には埋蔵文化財を事前に調査するシステムはなかったようで、特に遺構が出たという話はないようだ。

 

 

ただ寮の敷地は北側に丸太町通があるのだが、ここからB棟と呼ばれている寮の正面の建物まで、かなり急な上り坂になっている。建築時に高まっている地表面を削平しなかったからではないだろうか。

 

 

東側にはテニスコートになっている広い空き地も残っているし、今掘れば何らかの遺構は出ると思う。