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古本屋日誌
西大和学園の浮世博史がさくら舎から『くつがえされた幕末維新史』を出した。最近の成果を盛り込んでわかりやすい通史になっている。
浮世は、元は中学受験の進学塾の浜学園や希学園の先生で、転職して四天王寺中、高そして西大和学園の社会の教諭となっている。
四天王寺や西大和は東大、京大に入る生徒がいる名門校だから、浮世の授業でもいいだろうが、中学受験の進学塾ではどんな授業だったのか気にはなるところだ。
さて、この本では、幕府がアメリカと結んだ通商条約での輸入関税は20%、輸出は5%であり、これは当時の世界の標準だったこと
とりわけ輸出の関税収入は膨大で、幕府の財政で大きな収入源になっていたこと
下関戦争で攘夷を実行した長州藩の尻拭いで低い輸出関税で条約を結ばざるを得なかったこと
金と銀の交換レートが日本と外国では違うことを利用されて、毎年の100万両からの金が流出したとこれまでは、されてきたが、そんなことはなく、幕府は元からレートの違いに注意を払っており、様々な諸策を実施することで金の流出を抑えたので、実態としては年間10から15万両程度の流出だったことなどが書いてある。
これらのことは、今までもいろんな本で明らかにされてきたことなんだが、まとめて読めるのはありがたい。
そして浮世は、アメリカの南北戦争の戦死者が60万にのぼることや、パリコミューンでのフランスの内戦でも20万からの死者が出ているのに対して、戊辰戦争の戦死者が極端に少ないことを指摘している。
鳥羽伏見は幕軍は280人、新政府側が110人。上野戦争では新政府が20、幕府が260。
会津戦争でも死者数は3000をこえなかった。
これについての彼の分析はどうなっているのか。
司馬遼太郎は戊辰戦争が簡単に終わりすぎてしまい、新しいものを生み出すものではなかったと述べているが、そうではなく、幕藩体制の解体は戊辰戦争とともに進んだと考える、というものなのだ。
これでは分析になっていない。なぜ幕軍も薩長も死者をたくさん出さないように慎重にことを構えたのか、そこを説明していない。