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古本屋日誌

2024-08-08 21:05:00

(承前)

去るものは日々に疎しということなんだが、所詮は一般論で、時間が経っても思い出したくないことや、考えたくないこといくらもある。

 

 

日能研関西(中学受験の進学塾だ)での、1回目の過労死事件は、その際たるものだった。

 

 

しかしさすがに四半世紀近い年月をけみしてみると、ようやく一つの歴史として考えてみたい気分になった。

 

 

1999年の12月の、灘中クラスの合同授業、冬期講習打合会、そして灘クラス担当者の宴会のことだ。

 

 

俺も、初めの頃は打合会の後で開かれる宴会に出ることがあった。

 

 

中之島や新神戸のホテルで開催されることもあったのだが、宴会と言っても、別に気の合う人と飲んでいるわけでもないし、かなりの部分は、次の会議の日程調整や、クラスの雰囲気についての担当者同士の意見交換に費やされる。

 

 

要するにかなり仕事の要素が入っているということなのだ。

 

 

俺はそもそもマイペースな人間だから、これが気に食わないので、すぐに出なくなったのだ。

 

 

算数課のマネージャーだった酒井の発言に関して、俺はこの当たり前のことをすっかり忘れていた。

 

 

灘中を受ける子どもの現状とか、親からの要望とか、今後の方針とかあれこれが酒を酌み交わしながら、ああでもない、こうでもないと論じる場なんだろうと思うのだ。

 

 

だから酒井が電話で俺に「東さんの方から言ってもらわないと」といった言葉は、「東さんの方から自分に、この宴会は会議みたいなものだが、あなたは出なくていいと指示を出してもらわない」という意味だったのだ。

 

 

東は部長待遇だったから、酒井の上司なので、いくら大学時代からの友人とはいえ、社内ではデュープロセスが優先されるという考えなのだろう。

 

これは筋が通っている。

 

では本当にそれだけの意味だったのかというと、俺はそうとも言えないと今は考えている。