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古本屋日誌

2024-05-21 12:35:00

新田均が、PHPからだいぶ前に『現人神 国家神道という幻想』を出した。

 

 

大東亜戦争中のファナチックな天皇🟰現人神論や神国思想は、せいぜい満州事変以降のもので、明治からずっとそれはなかったと主張している。

 

 

神社の参拝にしても、強制はしていなかったし、例の内村鑑三がパージされた事件についても、政府は干渉していないという。

 

 

新田によれば、ああいう神がかった思想は変革期や危機状況の中で繰り返し現れる典型的なもので、現にアメリカも戦争中は黄禍論やファナチックなキリスト教原理主義で国民の戦意を煽っていたというのだ。

 

 

なるほど説得力のある論考だな。

 

 

帝国主義の時代は難局を切り開く手段として戦争一択であったし、植民地を獲得して経済圏を形成することこそが繁栄のみなものと考えられていた。

 

 

しかし、大正デモクラシーの洗礼もあって、大衆にはデモクラシーが根付いており、己の命を差し出すことに、強い抵抗があった。

 

 

それで各国とも復古的、宗教的、神話的なイデオロギーを大衆に植え付けようとシャカリキになっていたわけだ。

 

 

天皇機関説への攻撃ももちろんその一環だ。

 

 

かつて久野収が、戦前の天皇のあり方を顕教と密教と表現していた。

 

 

大衆には天神降臨の神話的な世界観を教育したが、帝大に進む支配層には天皇機関説に基づく立憲君主制の天皇観を開示して、ダブルスタンダードだったということだ。

 

 

しかし新田のこの論考によれば、それは正しくないことになる。

 

 

大衆に対しても天皇機関説に基づいて教えていて、それが転換したのが満州事変の時だったということなのだ。

 

 

こういった論考を読むと、ファナチックな、神話的な現人神の世界観もごく当たり前の話だと納得させられる。

 

 

戦争の時代に直面すると、われわれ人類は皆等しく、こういう思想に行き着くということなのだ。

 

 

翻って、今日では戦争で事態を打開しようという考えは、頭のいかれたバカとその国民だけのもので、前世紀の遺物となっている。

 

過去の価値観を正しく学ぶことは大切であるし、今日の価値観で歴史をみようとするくらいバカげた話もない。