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古本屋日誌

2024-03-21 00:35:00

秦郁彦がPHPから新著『日本近代史12の謎を解く』を出した。

 

 

90を超えてなお、立派な本を出し続けられる精神的な強靭さは素晴らしい。

 

 

その中で幕末の動乱を論じたくだりがある。

 

秦郁彦によれば内戦では勝者は敗者を撫で斬り、つまり皆殺しにするケースが多い。(敗者の再起を封じるため)

 

 

だが戊辰戦争では、賊軍と官軍の死者は各4000人で、アメリカの南北戦争の62万人に比べて格段に少ない。

 

両軍は国際情勢を睨みながら、民衆を巻き込まないように自制しつつ戦った。

 

そのわけは、上級武士は、お目見えも叶わない下級武士や下級公卿の暴走と本気で対決し、争う気分を持てなかったからだ、というのだ。

 

 

なるほど、確かに鳥羽伏見の戦いなど、幕軍は敵の3倍の15000の兵力に加えて、最新の銃器で武装していたから、優位に立っていたのに、あっけなく敗退してしまった。

 

 

中公新書の『鳥羽伏見の戦い』で野口武彦が論じていたが、幕軍が攻め上った京街道は幅員がなく、数の優位性を活かすことができない。

 

 

通常なら西国街道、京街道、奈良街道と軍勢を3つに分けて攻めるのが筋なのに、なぜかそうしなかったとある。

 

 

これについて、これまでは、幕軍は士気が高くなく、それは追われる立場で、過去の遺物みたいな幕藩体制を支える気にはならなかったからだと説明される。

 

 

しかし秦はそうではなく、薩摩や長州の下賎な連中と本気でやり合う気にならなかったからだというのだ。

 

 

そういえば先の野口の本でも鳥羽伏見の戦いの火蓋は先に進もうとする幕軍を薩長が狙撃したことから始まったとある。

 

 

幕軍は目の前に銃で武装した敵兵がいるのを、重々承知で堂々と進んでいく。

 

 

つまり大君さまのご威光の前には薩摩や長州の下級侍など何ほどのものがあろうかと侮っていたからだと解釈できよう。

 

そして注目すべきは双方が平坦で見通しのきくエリアでやり合ったにもかかわらず、戦死者が非常に少ないことだ。

 

 

幕軍は「こんな下賤な連中とまともにやりあえるか‼️」と考えてすぐに下がったし、薩長も雲の上のような存在である幕軍の侍たちには遠慮があったということだろう。

 

 

ああいうバカと関わり合いになりたくない、勝手にやりたいならしたらいいという考えは、れっきとした差別でもあるし、また言い方を変えれば、侍の矜持、忍従ともいえよう。

 

 

そういえば、インドの独立につながったセポイの乱も、カースト制に基づく差別を保ちたい感情が元になっていた。

 

 

ともに、差別に意味があるといえる現象なのだ。