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古本屋日誌
ドイツの政治学者カールシュミットの著作はちくま学芸文庫や岩波文庫にも収録されていて、手軽に読める。
ルソーの一般意志、ホッブスの万人の万人に対する戦い、さらにマルクスやレーニンのプロレタリア独裁の理屈などを踏まえた上で、国家の主権を論じる彼の理論は今もなお学ぶべきものがある。
シュミットは主権は緊急事態での決断を下すもののことだという。
福島第一原発の事故では、全電源が喪失して1号機がメルトダウンする危機に直面し、直ちに電源車を調達しなければならなくなった時、これが緊急事態だ。
しかし原発に通じる道路はどこも避難民や、何やらでごった返していて、緊急車両の通行はままならず、もたもたしている間に1号機はメルトダウンしてしまった。
独裁国家であれば、ただちに戒厳令を布告して、主要道路の通行を全面禁止し、それでも従わない大衆は躊躇いなく射殺するだろう。
また3号機で格納容器の圧力が高まり、破壊を防ぐために消防車からの給水を実施したのだが、予想した通りに水が入らず、水位が回復せず、1号機のように水素爆発が発生する危険が高まったとして、吉田所長は外にいる作業員を引き上げさせた。
「身近な人を守ってはじめて周辺住民の命も守れる」と考えたのだそうだ。
でもそれは通常の場合であって、緊急事態には成り立たない。
己の命をを捨てて事態を収束させようとする人がいて、はじめて、住民は助かるのだ。
独裁国家ならば、当然命を捨てて作業を続行するように求め、従わなければ殺すだろう。
しかしわが国では、金儲けのために仕事をしている労働者に「みんなのために死んでくれ」と要求することは、どんな理屈をこねても認められる話ではない。
我が国の場合、シュミットの言う主権者はごく普通の住民ということになる。
その主権者の意思はとりあえず命に危険が及ばない範囲で、もしくは給料の範囲内で作業をするということだ。
これは極めて真っ当な話で、確かに究極の責任は、誰もが負わないということだから、運が悪かったら東日本や東京が壊滅して、人が住めなくなる可能性を孕んでいる。
しかしそれもこみで主権者は判断していると考えるべきだろう。
また主権者の判断は良い方向に出る場合もたくさんある。
例えば我が国は戦争はすることができなかろう。命を張るという発想がそもそもないからだ。
これは実に素晴らしいことだし、人類が進歩している証拠でもある。