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古本屋日誌
貝塚茂樹がミネルヴァ書房から出した『吉田満』には戦艦大和の水上特攻に関して興味深い記述がある。
昭和20年の4月、制海権も制空権も全くない状態で、護衛の戦闘機もつけず、しかも白昼堂々と艦隊を組んで沖縄に向かうなど、狂気の沙汰に思える。
例えば、せめて夜闇に紛れて沖縄に向かうのであれば、少なくとも戦闘機からの攻撃は避けられる(潜水艦が見逃しはしないだろうが)わけだから、作戦が成功する確率もあがろうというものだ。
しかしそれもやらなかった。
この貝塚の本ではそのあたりの事情に関して「死地を与える」ということだとある。
水上特攻を指揮した伊藤整一中将は、当初「成功の見込みが全くないから、そもそも作戦とは言えない」と強行に反対した。(当たり前だよな)
しかし最後に「要するに死んでもらいたい。いずれ一億総特攻ということになるのであるから、その模範となるように死んでもらいたい」と草鹿に言われて
「そうか、それならわかった」と破顔一笑、納得したのだとある。
俺は全然理解できないけどね。人命がかかっている戦争なんだから、合理性が追求されないといけないと思うからだ。
例えば軍隊内での体罰なんかは、やりすぎないよう、それなりのブレーキがかかっていた。だって、体罰やりすぎたら、戦闘に支障が出るからね。
それなのに、一億総特攻など、つまり全員残らず死ぬということなんだから、合理もなにもあったもんじゃない。
確かに戦争をするのだから、死んでしまうとわかっていても行け‼️と命令しなければならない場面は多々ある。
アメリカにしても、フィリピンにせよ、沖縄県にせよ、上陸作戦などしたら、激甚な抵抗を受け、海兵隊は大損害を被ることは、初めからわかっていた。(実際沖縄では12000人くらいの戦死者を出している)
先頭きって、砂浜に上陸する海兵隊の連中は死ぬことを全く恐れていないし、むしろ華々しく死にたいとさえ思っていただろう。
それにしてもなあ、一億総特攻はなあ。