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古本屋日誌
インベカヲリが人々舎から『私の顔は誰も知らない』を出した。
インベは写真家なんだが、例の、新幹線で無差別殺人を企んだ犯人を取材した『家族不適応殺』で名を上げた。
今回はインベのモデル募集に応募してきた人たちへのインタビューを集めたものだ。
テーマとしては人は自分を覆い隠して擬態して生きているから、ストレスもかかってくるのではないのかという話だ。
たしかに仕事で求められる役柄を演じるように求められるしそれができないと毛嫌いされてクビになったり、生きにくさを感じたりもするだろう。
擬態するのに疲れてものを買わなくなったという女の話がある。
「周りの可愛い女の子に合わせるのが疲れたっていうのもあるんです。可愛い女の子の真似をするのに疲れた。
隣の人がめちゃくちゃキレイなひとでも、私は隣で納豆ご飯を食べようと思った。私はそれでいいんです」
インベのコメントがおもしろい。
「きっと多くの人にとっては、擬態するほうがラクなのだろう。他人が共通して持っているイメージを身にまとえば、何者かになれる。美人の記号、金持ちの記号、幸福の記号ー記号を所有すれば、他者イメージも、自己イメージもコントロールできる。
でもそれが、必ずしも楽しいとは限らないということだ」
断定しないところがいいな。
そうなんだよ、イメージを身につけた方が楽なんだよなあ。でもたまにめんどくさくなるわけだ。考えたら贅沢な話だよなあ。
その断定しないインベが珍しく口を極めて批判している話がある。
それは学校だ。
小学校以来の教育は、生徒が周りに合わせて常識的な振る舞えるようにするものだ。
インベ自身は子供時代、体育の時間は苦手でからだも固くて屈伸運動も満足に出来ず、通知簿も体育は2で劣等感ばかりだった。
「私はずっと、自分が運動はできないと思い込んでいたけれど、大人になると不思議なもので、たいていのことはそれなりにできてしまう。(中略)
そうなってくると、あの体育の授業は何だったんだろうと思う。私が「運動のできない人間」だと思い込まされていた、あの膨大な時間は何だったんだろうと思う。(中略)
私は、劣った人間に振り分けられ、酷く劣等感を植え付けられ、覇気のない子どもとして萎縮しながら過ごしていた。
学校は、学校のルールでしか評価されない場所で、そこに当てはまらない人間は抹殺されていく場所だと今でも思う。」
インベは体育を含め、学校教育のルールの押し付けを批判する。
でも教育はそもそも強制だからな。
たしかにインベのような才能のある人間にはおせっかいで、理不尽でしかないだろう。
でもたいていの人間は強制されることできちんとやっていけるのだと思うけどね。