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古本屋日誌
「月刊タイガース」7月号はスアレスが表紙だ。
160キロを超すスピードボールにチェンジアップで最強のストッパーであるのはいうまでもない。
それはさておき吉田風とかいうライターが2008年のシーズン回顧を書いている。
その中に岡田のコメントが収めてある。これまたいうまでもないが岡田は当時の監督だ。
「(新井は)しっかり貢献してくれたよなあ。ただ北京オリンピックに行って、無理がたたって腰を骨折してしまってなあ。それがなかったら阪神は優勝していたと思うし、新井にしてみると、ええ思い出になってない年かもしれん」
つまり岡田は新井が骨折したから優勝できなかったと言い訳しているわけだ。
しかし、どう考えてもそんなことはない。
投手力、とりわけ先発の駒不足が問題だったのだ。
9月の東京でのジャイアンツ3連戦は安藤、下柳、岩田の先発で、誰一人完投できるのはいない。
疲れもたまっていてみな打ちこまれて大量失点して負けたことは改めて言うまでもない。
特に下柳はお盆の大阪ドームの横浜戦で初回から失点してその段階で疲れが明らかに見える状態だった。また岩田のような能力では二巡目以降の打線を抑えられないことも明らかだった。
それにもかかわらず監督の岡田は戦力の補強を行わず、失態をさらすことになった。
10月8日の東京でのジャイアンツ戦は安藤が先発した。
彼はその直前のスワローズ戦でも先発し途中まで5-1で勝っていたが、ジャイアンツ最終戦での先発が決まっていたので早い回に下ろして、その結果疲れの溜まっていた後続が打たれて負けてしまった。
この段階ではバカの岡田でもさすがにピッチャーが足りないことはわかっていたのだよなあ。それならそれでなんとでも手はうてたのに、それもしなかった。
その後2011年のシーズンはスワローズがドラゴンズと優勝を争ったが9月の直接対決で3連敗してドラゴンズに優勝をさらわれた。
この結果について落合博満は「小川監督はこういう展開に慣れていない。ジャイアンツやタイガースなら追い上げられた時にどういう対処とれば逃げ切れるのかわかっている、その経験がなかった」とコメントした。
「タイガースなら」のくだりがわからんよな。
だって2008年に失敗してる。
確かに2005年の優勝はドラゴンズに激しく追い上げられたが猛追をかわしたわけで、落合にはそのイメージがあったとは言える。
ということは2008年に関しては優勝出来なくて当然の戦力だったと落合博満は考えているのだろう。
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