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古本屋日誌
GHQは中国共産党が大陸での支配権を獲得しそうな上に、朝鮮半島でも北が全土支配を目論んでいる状況に鑑みて、日本の再軍備は避けて通れないと判断していた。
吉田に日本国憲法の平和主義はさておいて、直ちに再軍備に舵を切るように求めた。
ところが吉田は平和憲法があるから、軍隊を保持するのは無理だとして断っている。
しかしこれは戦争できる軍隊を持つ絶好の機会だったわけだから、それを逸したのは自民党にとっては痛恨の極みではないか。
そもそも戦争をもいとわない自立した市民によって国家を担うのは民主主義のイロハでもあるし、世界情勢は戦争で動いており、その発動を制限されたままでは独立国家とはいえまい。自民党政権にもそのような考えはもちろんあった。
しかし派兵することだけが戦争ではないことももちろんだ。
つい数年前の大東亜戦争では銃後の大切さを思い知った。戦争を遂行する上で兵器を開発し、大量に速やかに生産して戦地に送ること、補給線を絶やさぬために綿密な輸送計画や動員計画が必須でそれらなしには戦いに勝つことなど夢のまた夢であることは明白だ。
まさに世界情勢は朝鮮戦争の勃発から中華人民共和国の成立などで現に戦争によって大勢が決せられる状況であり、今日のような平和が横溢して、戦争を忌避するのが当たり前になったのとは根本的に異なる。
朝鮮戦争に関しては、今は日本が参戦していなかった、その一方朝鮮特需で儲かって高度成長の礎を築いたことになっている。
だがそれは平和ボケした今日の価値観であって当時は政府もそうだし大衆も日本が参戦していると捉えて戦争遂行に全力をあげていた。
日本人の部隊が参戦して水先案内を務めたり、哨戒任務などについていたことは今日では広く明らかになっている。
また香里や枚方の祝園の造幣工廠からは大量の砲弾や戦車が生産されて片町線を通して出荷された。戦車は車両に格納されることはなく剥き出しのまま京橋を通過していった。
北が攻勢を強める中北九州には空襲警報も出されていたし、野戦病院やキャンプが設置されていたのも松本清張の小説でよく知られている。
その観点で日本はアメリカ側に立って補給基地でもあり、実態的には部隊も派遣して戦争に加わっていた。戦争なんだから空襲などはあって当たり前だが戦時だという自覚を国民は持っていて問題はないとの判断だった。
実際には部隊も派遣し、武器弾薬は整え、野戦病院も開設しというのは公然と戦争を遂行していることになる。しかしなぜか部隊派遣は秘密とされ、枚方や香里の工廠での武器弾薬の生産も口止めされていた。
不思議なことだよなあ。
これは結局、吉田がアメリカに嫌がらせをしていたと考えたい。アメリカの論理は「国連軍で北と戦うんだから、日本も大手を振って参戦したらええやないか‼️」というものだが、そもそもわけのわからない平和憲法なるものを押し付けてきたGHQへの怒りが吉田の頭にはあったと思いたいわけだ。
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