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古本屋日誌
半藤一利が亡くなった。
昨日NHKで追悼番組があり生前の半藤が司馬遼太郎の亡くなる1年前に交わした話がよかった。
ホテルのバーで司馬は「オウム事件や阪神大震災があって、戦後の日本が作ってきた枠組みが不十分だったことが露わになった。これから日本人の9割、いや8割、うーん、7割が合意できることを進めていかないといけない」という。
オウム事件では宗教法人だから司直が手をつけるのは戦前の大本教や創価学会への不当な弾圧への経験からためらわれた。その結果教団はエスカレートして地下鉄サリン事件まで引き起こしたわけだ。
また神戸の大地震でも早期に自衛隊を被災地に入れることは、自衛隊が憲法違反の存在だとの議論からためらわれていた。そのため救える人命を救えなかったのではないかとの議論があった。
司馬もその辺りに衝撃を受けたのかと思うところだ。
日本人の7割しか賛同されない、逆に言えば3割ものひとが反対する中身とは一体なんなんだろうと期待される。
「司馬さん‼️それはどういう内容なんですか?」
半藤も勢い込んで尋ねた。
「もう自然を破壊しない、美しい山野を、残すということだ」
「しかし司馬さん、それはね、人間が欲望を抑えるということですよ。これだけ欲望を全開にしている日本人がそんなことできますかね」と半藤一利は答えたという。
もちろん日本人であろうと何人であろうと欲望を抑えることなどできるわけがない。
第一司馬遼太郎自身が若い頃はサンケイ新聞の社員で、あれこれくだらない記事を書いて大衆の欲望を刺激して金儲けしていたではないか。
また司馬の書いてきた歴史小説は仕事の余暇に暇つぶしを求める大衆の欲望に応えるものではないか、その欲望に応えることで金を稼いできたわけだから、司馬の言うことはハチャメチヤだよなあ。
でもこれが日本のインテリの老後に陥りがちな「清貧の思考」だ。若い頃はいきってブリューゲルだの覇王だの龍馬だのとうるさいが老人になったら、田舎で清貧の生活こそ人間らしいと言い出すわけよ。
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