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古本屋日誌

2020-06-04 11:47:00

先日の朝日新聞によれば日本三大弁天の竹生島の宝厳寺の本殿などが大阪城の極楽橋とその周辺の建物を移築したものであるという。


まあこれまでも言われていたことを詳しく報じただけなんだが、唐門、観音堂、渡殿二棟、神社の本殿の都合五棟に及ぶというのは初耳だった。唐門など極彩色に彩られて、極楽に誘われそうな魅力をたたえている。

なんでも初め京都の豊国廟に移築されて、そのあと1603年に竹生島に再移築となったということだ。この間傷んだ建物の修復作業を続けていた五棟の建物の寸法や様式が同じで、一連の建築物である可能性が高く、また豊臣時代の大阪城の屏風絵と照らし合わせてもよく似た形をしているそうだ。


まえあれですね、秀吉は本丸のすぐ北側に極楽橋とその御殿という宗教的な、死を連想させるようなものを大規模に作っていたということだよなあ。


結局これは石山本願寺の遺構なんではないのかな。石山合戦のおり、折り重なる戦死者を本丸から極楽橋を経て青屋門から寝屋川に運んで水葬して弔った名残なんだろう。


青屋門も「これは青屋だから本願寺時代、八百屋とかが並んでいたところから付けられた名前だよ」てなことをいう人もいるけど本丸のすぐ北側に八百屋なんかあるのかね。


やっぱり死者の青白い顔をイメージして葬送からのネーミングだろうよ。
大阪城には他にも重要文化財の千貫櫓や蓮如腰掛の松などの本願寺由来の建築物や遺構がある。


秀吉にしたら10年にも及ぶ石山戦争での死者の祟りに配慮するところがあったのだろうし、またそれは極めて伝統的な作法だったと思われる。

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