Welcome

古本屋日誌

2020-05-18 10:22:00

ちくま新書から佐藤信編で「古代史講義」シリーズが出ている。その中の「宮都篇」には難波京の話が出てくる。
最近の発掘成果を踏まえた話で前期難波宮は孝徳天皇のものであったことが確定した話が出ている。


まあそれはさておき、前期の宮殿から後期の宮殿までは40年くらい隔たりがあるんだが、前期の宮殿が火災で焼けてしまい焼け残った柱の跡などがそのままになっていたのだという。
聖武天皇はその焼け残りの柱で示された同じエリアに自分の宮殿を建てたのだという。
つまり前期の宮殿はこれまでにない画期的なものとして長く規範化されていたということなのだ。確かにそれまでの飛鳥の宮殿は規模も小さく、宮殿の数も大したことなかったから難波宮はエポックメイキングな建築物であったわけだ。


大阪市大の山根徳太郎が30年くらいかけて今の法円坂の宮あとを発見したわけだが、その時はまだまだ帝国陸軍の煉瓦造りの建物がかなり残っていた。おそらく明治初期のものもあったはずだが、天皇がらみのものに比べて戦後の平和ボケの風潮に軍隊がらみのものは合わないとのことで次々取り壊されて、現状更地にされてしまった。


せっかくなんだから平城宮でやってるような大極殿とか朱雀門の再建をやって、できるなら宮殿全体を復元すべきだろう。


大阪歴史博物館の敷地内に巨大な倉庫跡が出土した際も一棟だけ復元しいくつかの柱跡をコンクリートの上に表示するだけに終わってしまっている。

iPhoneから送信