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古本屋日誌

2019-10-02 16:12:00

1939年の3月に枚方で起きた禁野火薬庫の爆発事件は100人近い死者と多大な損害を近隣市町村に与えたがこの度枚方市教育委員会から、この場に居合わせた小野清彦の手記が刊行となった。

爆弾や焼夷弾が次々に誘爆して炸裂し、近隣に爆弾やその破片が降り注ぐ描写はおそろしいし、とんでもない話だが中でもいちにちめの爆発で歩いて香里園の聖母学院まで避難して一夜を過ごし翌日は「もう大丈夫だから、帰宅してよい」と言われて「居住者証」なる立入禁止区域に入れる証明書を持って枚方公園駅近くの自宅に小野氏が帰ったところがとりわけ興味深い。

破片が飛び込んで窓ガラスは粉々にはなっていたが、ともかく火災には巻き込まれておらず、家族も無事でやれやれと家の片付けをしていたら「何ぼやぼやしとんねや❗️❗️11時に大爆発が起きて三里四方が吹き飛ばされるゆうてるんやで、とっととにげんかいな‼️」と怒られて這々の体で南へ向かったら案にたがわず大爆発が起こったというのだ。

小野氏は禁野火薬庫のある山田村は以前から小作争議が頻発していたところでそこへ降ってわいたのが火薬庫の増設計画で、地主はこれ幸いと売り抜け、小作は小作で給与の高い火薬庫に仕事に行っていて、両者とも金、金金ばかりで、まあ今回の爆発は因果応報だなどと書いている。

野次馬の話は面白くて1回目の爆発の後燃え盛る枚方方面を見ようと淀川堤防に町会議員の一人が上ってどんどん近づいて行ったら降ってきた砲弾に当たって死んだ。これも殉職扱いとなったが小野氏は「野次馬の名誉職」とでもいうほかないと嘲笑っている。

爆発の後損害額を算定して申告するようにと陸軍から通達があり、400万くらいになった。「これは高すぎる」とのことで再審査を軍がやり、だいぶ削減されでトータルでは120万くらいしか補償はなかったという。二キロ以上離れているものら損害額が30円に満たないものは遠慮してくれとの通知もあったそうだ。このやり取りを記した小野氏は「欲ボケで課題に見積もったり、中宮の資産家など7万円になると請求したが十分の1に減額されて『陸軍を相手に訴訟を起こす』と息巻いて、見苦しい限りだ」と書いている。

まああれですね当時ということもあって爆発を引き起こした、一番悪い陸軍への批判はないな。逆に被害者の方を「因果応報」とか「欲ボケ」とか言って責めるんだからよくわからんな。