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古本屋日誌

2019-04-03 10:35:00

先日大阪観光協会が発行していた「観光の大阪」という小冊子をかなりたくさん入手しました。1965年から20年分くらいあって大阪を訪れる客にその魅力をわかりやすく伝えるものかと思いましたが、中身は「大阪の郷土玩具」の連載や今の中央区の粉川町がもと聚楽町と呼ばれていたわけとかつまりは郷土雑誌みたいなものでした。その中に城郭研究家の岡本良一が夏の陣で戦死した木村重成の墓にまつわる徳川時代の大阪の大衆の狂乱ぶりを書いていて興味深い。

1817年に大阪城代が木村重成の墓に参拝することを禁止する御触れを出した。これはその当時この墓に参拝したらどんな願いもかなうとの迷信がひろまっていたからで、ものすごい数の参拝客がひっきりなしにやってきて、讃仰ムードはヒートアップして墓の後ろにそびえている木の葉も御利益があるとなって葉が1枚12文で取引される。果てはすぐ前にある山口重信の墓は徳川方なので参ってはいけない、それどころかその方向を見てもいけないとなり、連日わんさかの人出となり、近隣の農作業に支障が出るようになりついに参拝禁止の御触れとなったわけだ。

確かに徳川時代は豊臣を連想させるものを禁圧していたようだがその割には「近江源氏」とか歌舞伎や文楽は誰がどう見ても夏の陣を描いてあるのだが問題なく上演されてお咎めもなく、ようわからんところがある。

徳川実記のような家康の年代記のようなものにも夏の陣の話はほとんどない。侍はヤクザみたいなものだから人がたくさん死んだら気の毒だとは全く思わないし、為政者として町が荒廃するとか生産力人口の重大な減少を招くなどということよりも体面や一分を重んじるものだ。従って戦争は当たり前のことではあるのだが、それにしても夏の陣には侍ヤクザとしての体面も武士の一分もない。戦略的にも命を捨てて待ち構えている巨万の敵陣に突撃するように命じているわけで、まるでなってない。焦土とかし、他所から人を移住させなければならないほどの人的損害を被った大阪ならずとも、寄せて側にも多大な損害が出ていたわけだから、その愚挙を罵る声は天下に満ち満ちていたのではないか。