Welcome

古本屋日誌

2019-03-15 07:53:00

今朝はよう晴れていて気温が上がってきそうな気配です。こうている猫がこの2日ババをしないので少々心配です、あまり水を飲まない動物なので便秘になりがちとは聞いていますが、行動はいつも通り元気で飛び回っているので大丈夫かなとは思います。

3月14日は最初の大規模な大阪空襲があった日で松原市が発行した「大阪空襲に関する警察局資料」が空襲に備える市民の防火対策を詳細に書いていて興味深いので、ぜひお求めください。

要するに住宅の中に、畳の下に防空壕を掘っていたので、上の建物が焼けると蒸し焼きにされてしまう構造だったことが書いてあります。空襲の際に市民が避難してしまうと都市はなすすべなく焼かれてしまうから、とにかく消すことに努め、防空壕は気休めだったことがよくわかります。事情は東京などでも同じでために3月10日の空襲では逃げずに消そうとしたために一晩で10万人も死ぬことになり、大阪では「もう消せない、逃げたほうがいい」との情報が伝わっていて死者がかなり少なかった。

それにしてもわれわれは死んだ人間のことはあっという間に忘れますね。都市への無差別爆撃は日本も重慶に行ったとはいえ、明らかに国際法に違反しているし、アメリカの行った爆撃はナチスのユダヤ人虐殺と全く同じように無辜の市民の皆殺しを狙ったもので到底許されるものではない。ナチスはいつまでも追及されるのにアメリカには何のお咎めもなしとはね。生き残った連中なんか死んだ人間のことなんかどこ吹く風、自分のことしか考えませんな。

大阪大空襲で一番不思議なのは8月14日の造兵工廠への一トン爆弾を使った空爆で、よく「終戦の前日の空襲」だと言われているがそうではないでしょう。8月15日は天皇が放送をした日に過ぎず、ポツダム宣言は前日の14日に受諾をアナウンスしてますから、この日の空襲は敗戦の当日です。

アメリカはポツダム宣言の受諾を知っていたのにあえて空襲を仕掛けてのではないのか?この疑念が当然生じます。大阪造兵工廠は陸軍の最大の軍需工業であり、他に枚方や香里にも大規模な工場があったのに終戦の当日まで爆撃していない。枚方や香里の工廠に至っては一切爆撃していない、そのくせ市民の皆殺しを狙った市街地への大規模な空襲は執拗に繰り返した、これはなぜなのかな?