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古本屋日誌
今朝はどんよりとした冬空でそれなりに気温は低いが風は吹いておらず、昨日よりかは寒さはましです。
洋泉社の歴史新書で森田健司「明治維新という幻想」が去年の年末に出ました。大河ドラマの「西郷どん」でデタラメな西郷隆盛像が蔓延するのを危惧したタイムリーな本でなかなか面白かった。
明治維新は軍事クーデターであり、薩摩、長州とも単に政権を取りたかっただけで、幕府を倒す大義も何もなかったことは既によく知られていることです。
しかし個々の戦闘やその原因は「あくまでも会津藩が交戦を主張したから」くらいに思っていました。ところが会津藩はがむしゃらに戦争に突入したわけではなく新政府軍に「恭順の意」を表して流血の事態を避けようとしていたが、薩長は「恭順の意とはいうが武装解除していない」などといちゃもんをつけて見せしめとして会津を潰そうとした。
若松城の窮状は十分把握していてもう抵抗する力もないのを知りながら徹底的な砲撃を加えて城内にいたたくさんの町民を殺害したことや鳥羽伏見の戦いも勅命で慶喜が上京しょうとしたのを薩長は通さず、砲撃を加えて戦闘に持ち込んだこと、慶喜が江戸城に鳥羽伏見の戦いの後帰還した際にフランスのロッシュは徹底抗戦を進言し、あらゆる武器を幕軍に供給できると説いたが、水戸学にかぶれていた慶喜はその道を選ばなかったために日本は長期の内戦、イギリス、フランスの植民地化を避け得たことなどが書いてあって驚かされた。
中公新書の「鳥羽伏見の戦い」で野口武彦は幕軍は1万五千の兵力を持ちしかも後ろごめの最新式の銃で武装していたから、普通にやれば勝てたことは間違いない。問題は幕軍が狭い京街道一つに攻撃路をしぼったことで、狭い道では最新式の銃を持って横に大きく広がって敵兵を撃ち殺す戦術が取れないので不利になってしまう。なぜ西国街道や奈良方面から京都に入るルートなども使い大軍のスケールメリットを発揮しなかったのか不思議だと書いている。
森田のこの本を読んでようやくその訳がわかった。そもそも慶喜はまともに薩長とことを構える気がなかったわけだ。