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古本屋日誌

2018-10-22 11:46:00

今朝も抜けるような青空で部屋の中にいると少し寒いが外は陽気で一番よい季節です。

先日NHKで桂米團治が「はてなの茶碗」を演じていて、父の米朝が住んでいた武庫之荘は尼崎なんだが、住人はそれを認めたがらず「武庫之荘でっか、ほしたら尼ですな」と聞かれたら「いやうっとこは阪急の武庫ですねん」と答えるとゆうて笑いを取っていた。京都の人たちが大阪と一緒にされることを毛嫌いして、もともと京都を中心とした関西地方を指す「上方」を使いたがらず、「上方舞」を「京舞」「上方料理」を「京料理」と言い換えるようになり、今や京都には上方を冠するものは皆無なんだという。米團治は落語の中で大阪出身の主人公が思い切りよく商売に金を使うといって褒め、対して京都の人間には到底思いもよらないきっぷの良さだという。

それはさておきいつもこの「はてなの茶碗」で不思議なのは油屋が金を受け取るのを初めはこばむが、茶金さんにあれこれ説得されて受け取るのをシーンが二回もあるのだが、米朝にしても枝雀にしても話をするのは油屋だけで、受け取るよう勧める茶金の言葉はサイレントだということだ。大阪でもレジで誰が払うかで、書き出しの取り合いをして延々「私が❗️」「なに水臭いことゆうてんねん」「もうええ加減にしといとう❗️」とかやってるのはなかなか面白いものだ。なぜ落語ではカットするのかなあ?

それに京都の人である茶金はバクチで勝ったんやからやから上がりの金を取るのは当たり前ゆう発想なんだが、大阪の油屋は自分とは関係ないことだからと受け取らないわけだから、京都の人間が金に汚いことは明らかだ。

もともと上方落語という言い方は一般的ではなく「大阪落語」と言ってましたけどね。戦後大阪の求心力が落ちたし、落語の人気も凋落気味で古めかしい「上方落語」になったんだが、京都の人は「京落語」て言うのかね。