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古本屋日誌

2018-07-06 00:14:00
昨日はかなりの雨で暑さもひと段落でありがたい1日でした。7月はいつもなら灼熱でほめいてじっとしていても汗が引かないのが普通なのに稀有な1日でした。ただネコは郵便局に行く際に出ようかどうかまよてましたが、結局玄関から出ることはなくうらめしそうでした。
仕事で出町柳に行きました。お客さんのところで話していたら例のスマホのアラートが鳴り出し、つまりは鴨川の水位が上がってるとか京都市のどこやらの地区に避難勧告が出たという全く何の意味もない迷惑メールで、しかもそれが何回もくるのであきれました。
萱島の上島町には江戸時代から続く墓地があります。ただ徳川時代の墓は少なく大半は「〇〇家代々の墓」と刻まれていてつまりはかなり新しい墓だということです。もともとそういう家の墓などというものは作りませんでしたからね。
寝屋川の自然堤防のねきに細長く続いていて300基程度の墓石が並んでいます、春は寝屋川沿いのソメイヨシノが見られ、墓地の中には大きな欅もあって目を楽しませてくれます。1965年に京大文学部が出した「大都市近郊の変貌」という本があるんですが、ここにその当時の門真市の地図が載っていてそれによれば上島の墓地には火葬場の表記もあります。
萱島の駅から毎日晩の10時過ぎに墓地の横の道を通って帰宅するのですが、残念なことに全然こわくない。なんせ仕事で疲れている上にお腹も空いてますし、のぞも渇いている、お化けどころでない。しかもこのお墓の中にはお地蔵さんが安置してあるスペースがあってその前は拝むためにやや広めの平坦な石畳のエリアがあるし、実はベンチも置いてあるんです。それでよくここで大声で話しをしているやんちゃな若者がいます、こうなると繁華街の街中とえろう変わりはなく恐さよりも日常生活の場としか感じられません。
この墓地に近づいて行く自然堤防の道はおそらくもともとは石畳だったはずで、今も墓地の始まりあたりにあたる堤防の道と終わりあたりの二箇所には横4列、縦5メートル程度の石畳が残されています。それ以外はもちろんアスファルト舗装なんですが、残念ながらこのような石畳の残し方は全くセンスも何もなくひたすら下品なだけです。