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古本屋日誌
京都は千年の都などと誇ってお高くとまっているが、所詮は平安時代以降のことでしかなく、口を開けば「この前のいくさでは………」と応仁の乱を取り上げるという都市伝説にしても市内に応仁の乱以前の建物など一つしかない。また創業年数が古い会社の比率が全国的にみて高いとのデータがあるが、あれは全く別の業種に変わったり、違う人間が手がけているのに老舗の名前を借用してることが多いからで、実はきちんと続いている会社は多くない。
かわって大阪は実は非常に歴史が古く、イワレビコより前に天の磐船に乗って天下ったニギハヤヒは有名で、その磐船が現在も交野の岩船神社にあるし、ニギハヤヒは石切さんに祀ってある。枚方にはイワレビコを破ったナガスネヒコの墓と伝わる古墳があるし、古戦場である日下はよく知られていよう。負傷したイワレビコの兄の墓も和泉国にあるし、彼らが淀川を遡って見つけたのが白かた(枚方)だ。崇神天皇の時にいくさに負けて河原にクソをして退却した楠葉もあるし、住吉の依網池を作った。次の垂仁天皇の時は石が女になり、朝鮮の王子に言い寄られたが、逃げて難波にいたり祀られている。さらに神功皇后が妊娠中に朝鮮に出向くからと、出産を食い止めるために挟んだという石が住吉っさんにはあるし、その神功皇后を祀るお宮さんが住吉大社だ。応神天皇の大隅の宮、そのせがれの仁徳やさらに反正、允恭、顕宗、孝徳、聖武、孝謙らの栖は大阪にあって、高津宮は今の大阪城の地にあった。そしてこれらの墓は古市と百舌鳥に築かれ続けた。
でもまあこういう遺跡群は今や跡形もないところが多なって、坂口安吾が「日本文化私観」で昭和17年に唱えた法隆寺が焼けても何の問題もない、大切なのは人の生活が営まれていることでそれが文化なんだという主張を地でいっています。いくら何でもそりゃないよと思ってしまう。