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古本屋日誌
今朝は少し肌寒うてちゃんと掛け布団で寝ました。昨日は嫁と京阪電車の八幡伏見宇治のワンディチケット(900円)を使い萬福寺、三室戸寺、平等院をみに行きました。平等院はいつの間にやら外観は朱色の鮮やかなスタイルになっていて、300円はろて入った内陣の古色蒼然とは対照的で驚きました。将来的には内陣の阿弥陀如来や飛天や格子戸に描かれた錦絵なども修復して豪華絢爛な創建当時の様子に戻るのかなあ。でもまあ出来て1000年近く経ってるわけだから木造建築は色あせて傾いてくるのは当たり前でそのままでいいのではないかと思うけどなあ。
その宇治に住まう井上章一が「日本の醜さについて」を出しました。日本の都市がデタラメな建築で埋め尽くされるのはブルジョア革命が日本で徹底的に行われてブルジョアどもが好き勝手したからだとする。つまりは個人主義がヨーロッパなんかではなく、日本でこそ真の意味で開花したんだと主張。もちろん批判しているわけだが。
日本人は集団的で、個人主義の徹底が見られないという社会学の謬見は高野陽太郎の「集団主義という錯覚」などで打ち砕かれていて、井上はさらにヨーロッパの街並みが伝統的な佇まいを頑固に残そうとするのに比べて日本のそれは個人の好みが最優先されて完全に個人主義の横溢となっているという。まあ確かに日本のどこの街でもわけのわからん建物が建ち、周りとの調和などは一顧だにされないのは確かだ。その上道頓堀を最先端とする日本のイルミネーションの意匠は幼児的であり、川のほとりに転落防止の柵を設けるなどと相まって安全第一でつまりは幼児的趣味を感じさせるという。
確かに日本人が集団主義だとかいうのは全くのデタラメで高野がまとめる以前からもよく指摘されていた。高取正男の「日本的思考の原型」はかなり前の本だが今でも読み継がれていて欧米人は家族でスプーンやフォークを使いまわしていていわゆるマイスプーンやフォークを持っていないのに、日本人は箸は自分用のにあくまでこだわっていて、日本人の方がはるかに個人主義的だと指摘している。そういうのも踏まえて日本人はこうだとか、ああだとかいう日本人論はまるで信用ならないものに成り果てています。山松ゆうきちがいうように人間なんてそんなに変わらない、違いがあるとすれば教育の結果だというのが正しいとすればいつの頃からか日本では建物は好きにしていいよ、それがトレンドで皆んなそうしているんだからあんたも安心して好きな家やビルを建ててかまへんよと教えられ、ヨーロッパでは反対に周りに合わせて調和のとれた建物を作るのがトレンドだからそうしなさいと言われてきたわけだろう。でもなんで、別々のトレンドができるのかなあ?
また例のアレックスカーは「美しき日本の残像」で、日本やシナなどの東洋における伝統の破壊は極端だと指摘して日本の国宝建築物の前にある立て札に常に「HITACHI」とあるために欧米人は例えば法隆寺の五重塔をそう呼ぶのかと誤解する向きすらある、極めて下品で不恰好な宣伝だと批判している。まあその通りだから反論出来ない。