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古本屋日誌
今朝は打って変わって涼しく、風も強く秋に季節が変わったかのようです。昨晩の強い雨でうんきが洗い流されたようです。
先日お客様から「四代竹本越路太夫」などの文楽の本をお譲り頂いたんですがこれは越路太夫にインタビューして取材も交えてその生涯を描こうとした野心作で読み応えがあります。越路太夫は此花区の大きな料理屋の長男だそうでなかなか裕福な暮らしむきだったようなんだが太夫の道を歩むことになったについて親の反対はなかったのかが気になったが特にその手の話はなく、むしろ帝塚山の師匠の家の近所に別に家を構えて入門も後押しをしたとあるから、浄瑠璃に入れあげる芸能一家だったのか、その当時の大阪では浄瑠璃がらみの仕事は芸人風情と蔑まれることがなかったかならいずれがなんだろう。浄瑠璃の内容は封建時代の、なかなか感情移入もできかねる話が多いのだがこれに関しても「バカバカしくて困った」「疑問に感じた」類の話は一切なし。そういうもんだろうかなあ。文楽に関しては例えば谷崎潤一郎が「痴呆の芸術」とその魅力を讃えるとともに限界も指摘していることは有名なんだが取り立てて気にしている節はない。
なかなか面白いのは戦後の食糧事情の悪い時代に本当に食えなくなってきて所属する松竹芸能に待遇改善を求めたが拒絶されて占領軍に相談したら労働組合を作り交渉するのが良いと言われて組合結成に至ったというくだりです。なんでも軍政部労働課のオーバクレ少佐という人なんだそうだが一体何が目的だったんだろうか。とにかく軍国主義を倒すためにはなんでも利用したいとの思惑があったんだろうか。組合には師匠の山城少掾は参加せず、兄弟子の綱太夫は加わったのだが、あってはならないことだが例によって松竹芸能から仕事場を奪われたり、御用組合を作られたりといったいざこざがあり、挙句には組合の副委員長だった綱太夫が恩師との繋がりを断つわけにはいかないというデタラメな理由で組合を抜けて御用組合に走るなどということが起こり越路太夫としても困ったことになった。彼としては師匠と弟子の関係と雇い主である松竹芸能との関係は全く別なんだからそれを混同して論じるのは間違いだとの考えがあったのだが、なかなか現実にはそうもいかなかったんでしょう。
こういうリアリストだった越路太夫なのに浄瑠璃という過去の遺物のような芸能との整合性は彼の頭の中ではどのようになっていたのか気になります。