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古本屋日誌

2018-01-01 12:41:00

昨日は3時過ぎまで仕事をして京阪電車の初詣チケットがあり、31日と1日の2日間は乗り放題となり1200円なので買いました。早速夜の9時過ぎに香里園にある成田さん不動尊にお詣り。聖母女学院のわきを抜けていくのですが、この香里東町や末広町は戦前から開発された、つまりは京阪電車が西の六麓荘、甲子園を目指した住宅地です。大阪造兵工廠の労働組合(向上会)の委員長であった八木信一の居宅もありました。森田たまが枚方公園の素封家に招かれ襖の引き手にほどこしてある様々な装飾のコレクションを見た感動をエッセイに書いています。襖の引き手ですからね、だいたいあんなもの見ませんよね、そこに金をかけてあれこれこるゆうんですから、かなり変わってるし、変な金の使い方ですな。そんなこんなでイカ焼きや焼きそば、りんご飴、関東煮、岩納豆、などの露店が並ぶ。中門が閉まっているのではと危惧してましたが、成田さんは開いていて唐破風の本殿にお参りをし、太子堂も見て高知の名物だという岩納豆を買いました。この後天満宮にも参ったんですが、10時こまえに着いたのだが、門は閉まっていて前に床机をを出したりして並んでいる人が20人以上いるので、これはすぐに開くのかと思っても並んでる人に聞いてみたら、開くのは12時だとのことで、参拝はやめて帰宅しました。それにしても香里園は高級住宅地もつくり、それなりにステイタスのある人たちも住み、交通は至便で京都にも大阪にも一本ででられ、アミューズメントパークや菊人形もあり、さらに次駅の寝屋川との間にはプロ野球の誘致も見すえた立派な球場も作りとそこまでしてなぜだか全くわからないが失敗してしまった。

同志社香里はもともと偕行社で陸軍の師弟が通う学校で、八木信一もそうだが当時は花形だった軍需産業の影響が入り、戦後はそちらが表向きはタブーのようになってしまったことが足かせにはなったのだろう。今は香里団地になっているが、陸軍造兵工廠を作ってしまったのはかなり痛手になった。しかも枚方もそうなんだが大阪城の本工廠とは違い全く空襲の被害を受けておらずいつでも戦車、砲弾などを生産できる態勢があり、1950年に始まった朝鮮戦争ではあれこれありました。片町線を使い遮蔽することもなくむき出しで戦車などを下関に輸送していたことは有名な話なのだが、これはどこで作ったものなのか?祝園なのか枚方の禁野なのか、それとも香里園なのか。まあ戦争なんだから砲弾や戦車がいるに決まっているんだからどんどん作らないといけない。朝鮮戦争で我が国は朝鮮特需で高度成長の基盤を作ったんだから兵站基地として大阪の果たした役割は絶大で感謝されこそすれ問題視されるいわれはない。だいたい日本は朝鮮戦争もベトナム戦争も湾岸戦争も常に参戦して勝つ側についたからこそ今があるわけで、平和憲法とかいうのはどこの国の話なのかよくわからない。常に戦争したから今の日本があるわけで、平和などという時代はありませんでしたよね。