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古本屋日誌
去年亡くなった田辺聖子の松蔭学園時代、18の頃の日記が文藝春秋から出た。
その中に3月14日の大阪大空襲の遺体を掘り出すシーンがある。
「牛肉の筋に似てぶよぶよと赤い土まみれの一塊の肉が見える」
興味深いのは周りの大人たちの反応だ。
「ええ肥料になりますやろ。」とか
「『肉の特別配給だっせ。ご馳走したげまひょう』と年寄りまで言う。
あたりの人は胸わるそうに顔をしかめたが、年寄り婆さんは、きゃらきわらとわらった。
壕の中の男連中はしきりに死体の位置と発掘後の処置について論じ合っている。
『お嬢さん、もう止めときなはれ、御飯食べられしまへんで』隣組のおじさんが、スコップで良い土を畠へ投げながら、汗のしたたる顔で笑った。」
アメリカの無軌道な無差別爆撃で無辜の市民が虐殺されたというのに、なぜか明るいし、こともなげだ。
プレグマンの『希望の歴史』にナチスのロンドン空襲後の市民の反応を書いたところがある。ナチスはイギリス国民の戦意を喪失させるために執拗にロンドンの大規模空爆を続けたが、むしろ戦意は高揚し、空爆中の工業生産は上昇したとある。
田辺の書く大阪の大衆の反応はアメリカ憎しでもないし、戦意の高まりとは到底いえない不思議なものだ。
これまでの紋切り型の空襲体験てなんだったんだろうか。
ちくま新書から小坂井敏晶の「格差という虚構」が出た。
この本の後半には例の自由意志を否定する実験の考察がある。
何かをしようと思い立って行動に移すよりもずっと先に脳はその行動を起こす部位を運動させているというやつだ。
だからこの男を殺してやる❗️と決意してナイフで刺して殺害したというのは間違いで、ふと気づいたら血まみれのナイフを手にした自分がいて、おまけに目の前には死体が転がっているというのが正しい知見なわけだ。
とすればこの殺人犯を法で裁く根拠がない。
正常な判断に基づいて犯行に及んだも何もなくて、ただもう、脳や遺伝子や窺い知れないエネルギーに操られて犯罪に手を染めただけなんだから。
社会秩序を維持するために方便として今の法体系で犯罪者を裁くことは必要だろうけど、それはあくまで方便だ。
実際の犯罪者はやむにやまれぬエナジーに突き動かされる形で犯罪行為に及んだのだから、そもそも犯罪者ではなく、被害者なのだから。
このシステムは恋愛に似てるよね。
恋愛もこの人のここが魅力で恋に落ちたなんていうことはなく、エロスの激情に流されて離れられなかなるものだからだ。
男の方は子どもを産んだりする面倒がないものだから、エロス力に引きづられがちだ。
今日は昼から京阪電車の寝屋川駅近くのお好み焼き屋「風の街」に嫁と出向く。嫁の弟さんと会食。
ここの店は千林に本店があるチェーンなんだが、お好みに入っているキャベツがものすごく甘みがあるもので、しっかりとその旨味が感じられるのみならず、ソースが3種類ある。
甘口、おすすめ、そしてものすごく辛いソースだ。
甘みのあるキャベツにものすごい辛いソース、この組み合わせは大阪の特色だ。カレーライスなんかもそうなっていて、東京にも進出した「インディアンカレー」は見事に辛くて甘いカレーだ。
今日は寒さも落ち着いたので二条城に嫁と行ってみた。
以前は唐門を外から見るのや本丸庭園は無料だったが、今は堀の中に入るのは全て有料で千円程度払う。
冬場でもあり、鎖国しているせいもあって観光客は少ない。
鶯張の底冷えしてくる廊下や大政奉還の小書院なども確かに興味深い。
だが、それにもまして面白いのは二の丸から本丸に向かう内堀の餌やりだ。
200円払うと自販機でウエハスに包まれた鯉の丸子状の餌を買える。
これを内堀にかかる橋の上から投げ込んで楽しめるのだが、大半の餌はウエハスも含めて鯉ではなく、同伴してくる鴨に食べられてしまう。
ちょっと鯉には気の毒なんだが、それでもどの鯉もまるまると肥え太っているので不思議だ。
帰りは三条河原町に半世紀くらい前からあるアサヒのビアホールにはじめて入った。
ここは河原町通りの歩道に面していて、大きなガラスを通して街ゆく人の姿を具に観察できる。
しかしいつも通るたんびに不思議に思うのは、外からも全く遮られることなくガラス窓に沿って置いてあるテーブルや椅子、そしてなんの躊躇もなく談笑し、乾杯しあい、疲れたのだろうか椅子にぐったりもたれかかる客の様子も観察できるのだ。
見られる方としては恥ずかしくはないのだろうか。
しかし今日もそうなんだが窓際のテーブルはいつも人で埋まっていて客は奥の落ち着いたのテーブル席に案内される。
窓側の丸見えのテーブルに陣取ってる方はどうなのか❓
威厳を正して厳しくビールを飲んでるのか❓
もちろんそんなことはなく、羽目を外して楽しんでいるし、船を漕いでる爺さんもいる。
今日から大阪古書会館で定例の古本市、早速朝から行ってみた。
かなり朝は冷えていて京都市内は雪が激しいそうだ。大阪は気温が低く、風もあったけど冬場はこんなものだ。
シルヴァン、寸心堂、厚生、アジア、真木、横丁、唯、デイック、矢野、杉本などで特に変わりはない。
やはり人気なのは矢野やデイック、寸心などが扱う文学書でオープンと同時に人だかりができている。
文庫本でも読めるのだが、そっちの方がずいぶん安いんだが、それでも著者やら作品へのお客さん一人一人のこだわりが初版本や帯付きの単行本に向かわせているわけだろう。
同じ理由で唯書房が扱う古い雑誌やパンフレット、古本横丁が扱う和本も古本市の華となる。
そしてこれも相変わらずなんだが、日本文学の初版本を好むお客さんは食関係の本や雑誌が好きだ。
外国文学を好むお客さんは哲学書、和本が趣味のお客さんはかなり前のセンスのない雑本、写真を好むお客さんは古い文庫本というのもセットで集まってくる。
というわけで古本市ではそういった余分に、意図せず集まった本も適当に展示販売するので、勢い店主の興味を惹かないものとして安い値段になっていることもしばしばある。