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古本屋日誌

2017-12-26 18:26:00

今朝は仕事で早く起きましたが、風はないものの寒かったです。

先日お客さんから東京書籍の「目でみる漢字」などのシリーズをお譲り頂きました。このシリーズはいろんな漢字の形に似た地形を追い求めて写真に収めるというもので、例えば「山」という字は山が三つ並んでいる様子に見えますから、そういう都合よく近接して山頂が3つあるのを探してくるわけです。確かに二上山のように二つはあるでしょうが、3つは珍しいでしょう。まあ中国の山は三つでワンセットが多いのかもしれない。また実は1つの山の形なのかもしれない。そして川なんですが確かにこれも近接して川が三本流れているところは珍しそうな感じがする。ただ大阪モノレールだと沢良宜駅近辺から安威川というのが眼下に見えるのだがこれがうまい具合に三本接近して流れていて、しかもモノレールだから地上はるか高く川という漢字のごとく流れている様子を確認できます。

実は私が住んでいる大阪府門真市、寝屋川市を流れる寝屋川も萱島付近では三本の流れがあるのですがいかんせん上空から俯瞰できません。きれいに川に見える、ドローンなども使わずにという点では安威川は稀有な存在です。

 


2017-12-25 15:18:00

昨日の晩はかなりの雨で1ヶ月ぶりくらいのお湿りでした。今朝も狐の嫁入りで晴れてはいるが時折小糠雨とはいえない細く密集した雨がふりつけてきます。

今はもうないが河原町三条下ルに駸々堂京宝店があり、かなり大きな書店であるにもかかわらず立ち読みしていると注意されました。まあ確かに商品なのですからある程度のチェックは必要とはいえ、長い時間読みふけるのは問題です。ただわたしの友人の久富くんという理学部の学生は何故かニーチェが好みで大学にも行かず、日がなニーチェを読みふけり、京宝店はレジのすぐ横にニーチェ全集が置いてあって、そこで堂々と朝から夕方まで立ち読みしてました。容貌魁偉、ムスリムを思わせるあごひげを蓄え、下駄履きなので恐れをなして叱らなかったものと見える。しかしこの彼も残念ながらニーチェ研究で名をあげることもなく落ちこぼれてしまい、まあ大学は多数の落ちこぼれが出ることを見越して合格者をたくさん出しているのは当然とはいえ、無駄な感じもする。

ジュンク堂はわりと始めの頃から椅子を置いて読んでもうてもかまへんよ、という姿勢でやってきてなかなかありがたい本屋なんだが、まあ本だけは何故か立ち読みをしてそのまま買わずに帰っても許される変な業種だ。スーパーでリンゴを立ち食いして、「うまないわ、返すわ」で立ち去ることは許されないのに、本屋は何の問題もないというのは変だな。


2017-12-24 11:19:00

今朝はそんなには寒くはなく、夕方からは雨だとのことでした。うちのサビ猫は布団に入ってきて寝るのですが、自分の入っている逆の方に私が寝返りを打つと布団の動きに驚いて外に出てしまう。それから外の寒さに気づいて「中に入れろ❗️❗️」と喚きだし結局気づいて入れてやるまで続きます。なかなか学習しません。

先日お客さんから中野美代子先生の「孫悟空の誕生」などをお譲り頂き、扉にサインが入っていてお聞きしたら岩波書店のセミナーに行った時に書いてもらったものだということでした。まあ中野先生のサインは流麗で目の保養になりますが、付加価値が出るかどうかわかりません。喜ぶお客さんもいますが、落書き同様と思う人も当然いますからね、またサインには価値を認めるが、自分宛にこの場で日付入りで書いてもらわないと値打ちはないという考えもあります。

これもお客さんからお譲り頂いたインターシフトの「スーパーセンス」という本には人間は赤ん坊の時からサインには反応するんだとありました。サインだけでなく、例えば殺人鬼が着ていた上着を身につけるのには心理的に大きな抵抗があるし、いわゆる事故物件に住みたくない気持ちも幼い頃からあるんだ。確かにサインはそれがあるからといって特段深い内容が付け加わりもしなければ、奇跡のような現象もおきません、だが価値を見出してしまう、人間はそもそもそういうものなんだという主張です。

ただ私は中学3年の時になぜだかわからないのだが、白昼死んだおじさんを街中で見たことがあり、もしかしたらサインにも何かパワーがあるのではというオカルト的な興味も捨て去ることはできません。 

この私の前に出現した死者は大阪市住吉区安立町の後藤さんといい、競輪のプロです。日本一に何度かなったことがあると周りの人がいっており、時々落車して大怪我していたが、普段は暇で大抵上半身裸で道に床机を出して清酒をよう飲んでいた。しかし日本一になるようなプロが私の家族が暮らしていた長屋の並びにおるというのも不思議ではある。ともかく肝硬変で亡くなり葬式もすんで、7月のかんかん照りの昼下がり私をよく乗せてくれた自転車にまたがって現れてゆっくり南から北に通過していった。

死んでも自転車に乗れるのかとも思った。


2017-12-23 17:15:00

今日もかなりぬくくて、よかったです。猫はホットカーペットの上に寝転んだり、石油ストーブの前につくぼつたりと、思い思い暖を求めて頑張っています。 

いつも思うんですが岩波文庫のルソーの「エミール」は買取にうかがったおりなど非常に頻繁に目にする本です。初めの頃は大学の教養課程かなんかで課題図書になって仕方なく購入してあまり読んでもいないで売り払うのかと思ってましたが、あまりに数が多いしお客さんに聞いてみると、本屋で気になってこうたとか、少しは読んだとかおっしゃるので、自発的に購入したんだなと思うようになりました。私はこの本は子供を礼賛してやまない理解できない本だなあとおもってますので、そのどこが人を惹きつけるのか不思議でした。だいぶ前に金蘭大学の末次教授とお話しすることがあり、この人は中国の古代の気象などを研究しているまあ物好みたいな先生なんですが、「寒山拾得みたいな童心を評価せなあかん、日本はそういう文化がない」という話で、私は全然納得できず「でもだいたい子供も大人の顔色を伺うのが当たり前だし、汚れなき童心ゆうのは大人の勝手な思い込みでしょう」と申し上げました。谷崎の「小さな王国」もありますよね。

祇園祭で長刀鉾に乗る稚児はなかなかかわいらしいけどそもそも稚児は男色の対象で、高野山などでは南方熊楠が盛んに論じていたように高僧のおもちゃになっていて、その行為の準備ができたことを稚児が厠の中からオナラを鳴らして知らせる作法があったそうで、わけのわからん作法でエロい。

それはそれとしてルソーの汚れなき童心を願望も込めて賛美したい人がかなりいることは間違いない。


2017-12-22 18:29:00

今日はわりと穏やかで風も大したことなく外出日和でした。夜前天神橋筋で私の先輩の還暦祝いをやりました。数えの60ですし、まだまだ先輩も若いのですが、例の赤いちゃんちゃんこにやはり赤いカッパみたいな帽子というのは不思議です。先日お客さんからお譲り頂いた鎌田東二の「翁童論」には人は歳をとると子供になるとして、例えば赤ん坊はシワシワで歯がないが年寄りも同じ。赤ん坊は小さいが年寄りもどんどん縮んでゆく、赤ん坊はわけのわからんことをゆうが、年寄りも同じなどとあり、結局かつて日本には歳をとると、老人になるがそれは赤ん坊に近くことだと意識されていて死んだらすぐにあの世では赤ん坊になるのだという。そうなんかと納得したような気にはなったが、どうもオカルトのような気もしていて、本屋の棚を見ているとこの本はオカルトや心霊現象の棚に置いてあることも多くてやはりそうなのかというかんじですね。それにしてもこの鎌田東二とかいう学者は京大の先生だということで、ようわからんね、まあ単著すらかけない教授が多い中ではましなんだろうけどね。

天神橋筋5丁目には行きつけの「しげみ」という居酒屋があって、70がらみのマスターと奥さんがやってる店で今の時期にはかす汁、ハゲ鍋、関東煮、ソーセージとかが美味しくてしかもとても安かったのだが今は無くなってしまい、10階建の賃貸マンションになってました。


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