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2021 / 04 / 21  00:57

レパートリー

今週から学校でも給食が始まり、献立を見ながら自分の頃を思い出していました。自分が今53歳なのであの頃給食を作ってくれていた人は、今少なく見ても80歳以上の人だと思います。当然和食がメインでご飯の消費量も比較にならない時代でしたが、何故か給食になると主食は冷たいパンでおかずのみ和食です。ヒジキ煮や肉じゃがをおかずにパンが合わないのは子供でも分かりそうですが、自分の周りでは残さず食べるのが美学のようで不思議で仕方無かったのを覚えています。6年生の2学期(1980年)から月に一度の米飯が始まり、卒業の頃には月に二度になって少しは改善されたようです。嫁に話すと流石に京都とは違い米所の福井は米飯が多くて、アルマイト食器を使っていた京都の飯と水の不味さに驚いたようです。給食のおじさんおばさんが一生懸命作ってくれたから残さず食べましょうと先生が言っていましたが、一生懸命作ろうがどうしようが結果が不味ければ食べ残す自由はあるはずです。全部食べないから体が大きくならないと、背丈が一番小いので良く説教されましたが、不味いから食べたくないとの一点張り(笑)。それでも食べられないと体の大きい子が量的に足りないのか、自分の分の不味い牛乳と不味いパンを食べてくれていました。和食のおかずは流石に美味しいので食べていましたが、たまに出てくるカレーやシチューの時は・・・。小さい頃からレストランスターで本物の洋食を食べていたので、知らない方が幸せだと自分の分の給食を食べている友達を見ながら考えさせらました。人に作って貰っておいてその言いぐさは無いだろうと自分でも思いますが、自分で美味しいものを作れるようになりたいと思ったのも調理師になった理由のひとつです。今から考えれば給食がパンから米飯に変わる時には、現場でかなりの反発があったのかと想像します。パンなら袋に入っているので業者から来たものをそのままノータッチで、異物混入や破損など全て責任を負わずに済みます。米飯なら昔は無洗米も無いでしょうし、洗米機すらあったかどうかあやしいものです。炊飯器もタイマーも無いガス使用でしょうし、スイッチを入れ忘れたら始末書ものです。それをおひつに入れ替え洗い物も大変で、京都みたいに人が多いとアルマイトもそうですが、何か変えようとすると業者とのしがらみや前例が無いなど色々大変だったろうと大人になってから分かる事も多いです。今の子供の給食献立を見ると大戸屋や高木食堂顔負けで、アレルギー対応などある分かなりレベルの高いメニューになっていました。クジラカツや三色ゼリーなど懐かしく思う事もありますが、昭和の給食が味より栄養優先だったのも戦後からまだそれ程時間が経っていなかった事もあると思います。味より栄養ありきだから誰が考えてもおかしな食べ合わせになったのかと理解出来ますが、栄養士の力の無さと調理師の怠慢に付き合わなかった小学生の自分・・。大人から見れば何も考えずに美味しく残さず食べる子が可愛いのは分かりますが、不味いものが嫌いなのは今も昔も変わっていないなと自分でも思います(笑)。