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11月になりましたが、まだ採れてます。
種屋さんから聞いた話ではズッキーニが現在、世界中で流行ってるのだとか。
季節を跨ぐ鈍感さに加え、育ちが早く、乾期に強く、流通しやすく、調理しやすく、農薬も化学肥料も要らない。
オーガニックの流行も日本以外の国ではあるのかもしれません。
とにかく育てやすい作物です。
気候変動とグローバル社会を生き抜くにはズッキーニの様な鈍感力が必要という事です!
6月に実を着け始め、9月にご隠居いただいた老ズッキーニも、今、果実を太らせながら健在です。
老ズッキーニからは種が採れますが、採種はしません。
彼らにはこのままこの地で越冬していただき、来年同じ場所でズッキーニを育てた時の”キオク”になってもらいます。
以前山菜採りをした時、「山菜を採りつくしてしまうとその次の年から採れなくなってしまう、どんなに収穫が少なくても2割程残すのが常識」と地元の人に言われた事があります。
狩猟も放牧も同じ事を聴いた覚えがある。。
その"カタチ"に倣ってみようと思いました。
直接は生き残った種の遺伝子からもう一度分裂と交配を繰り返すのですが、もしかすると遺伝子は単なる設計図=形で、記憶する主体は微生物ではないかな?と。
植物が”カタチ"で、微生物が”キオク”と観てみる。
そうすると畑の土の方にも記憶が引き継がれるという感覚になります。
「土を育てる」はこの事ではないでしょうか。
ズッキーニが世界のスタンダードになれば、「ズッキーニ=無農薬でも無化学肥料でも(無能でも)、環境に負荷なく育てられるもの」という"キオク"が育ち、"カタチ"として残る。
そういう作物が一つできれば他の作物にも"キオクとカタチ"が伝波していく。
…という可能性を妄想えてみる(みよ)。
雨が続きます。
前回の台風による被害はありませんでしたが、例年にないパターンの大雨続きで、先行きに不安を感じます。
仲間の生産者や知人のお客さんの多くが被災地のボランティアに駆け付ける中、自分は一人、家の中と畑の片づけをしていました。
最近は野菜の売れ残りも多く、大量に廃棄が出てます。
家の中は色んな収穫物や貯蔵物、種採り用の果菜類、ハネだしの野菜等が家の一角を占拠し、
繁忙期に放置した書類、品目ごとのバーコードやシールも積み重なり…
そして畑には、春から放置しっぱなしの被覆資材、支柱、ネットなど大量の″モノ”が溢れます。
畝を被覆するマルチのゴミは毎年大量に出ます。
リサイクルも試みていますが、捨てないでいると増えていく一方です。
身の回りの環境が心を曇らす
モノが多すぎると、流れが滞ると、腐敗するー
だから片づけなければー
…という衝動に動かされたのですが、、
今は簡単に捨てる事もできない世の中なのでした。。
“反モノカルチャー”=規模の小さい野菜農家は”多様”の消化に悩まされます。
今まで考えてませんでしたが、「終息するデザイン」が必要だと思います。
と言っても、何も見えてないんですが…
とにかくそう感じます!
もちろん新たな代謝の為に。
鬱の季節がやって来ました。
私は人類のアポトーシスです。。orz
初秋は毎年、気分が重くなります。
これは農業を始めて初めて実感し、都会に住んでる頃はあまり意識されない現象でした。
天候や土と密接に関わると、感覚が敏感になる気がします。
私はこれを微生物の死(と再生)の所為ではないかと思ってます。
冬、0度を下回ると殆どの微生物は活動を停止し、
春が来ると微生物は活動を始めます。
微生物は温度によって生態系が異なります。
なので夏から秋にかけて、活動を停止する微生物群がいるのではないかと。
長野県では秋冬野菜の種蒔きは夏秋の気温の境目に行われます。
この時期を逸してしまうと次に作物が育つのは春、
ということになってしまうので、とても重要な季節です。
このタイミングで野菜の生長は急激に変わります。
夏野菜は生長を停止し、秋野菜は生長を始める。
大地のエネルギーの量が微生物の量に比例するとすると、
熱エネルギーは微生物の生息量。
秋になると気温が下がり、夏の微生物が一変に活動を停止し、
一時的な一分の微生物層の死がやって来る。
農業は生死を媒介する聖職者でシャーマン
大地の死が、己の腸と脳にリンクし、伝わって来たー
のです。
だから「季節の鬱」がやって来ても、
「アァ」と唸りたくなっても、
気にしないで下さい。
単なる微生物との“感傷”です。
秋には秋の、微生物の繁殖期がやって来ます。
お隣の畑の草刈りをしてます。
今年、私の畑の両隣りの地主さんが高齢で畑仕事をできなくなり、引退される事になりそうです。
この見渡す限り一帯の地域で農業をしているのは、自分含め3,4件になってしまいました。
やる人がいなければ自分が借りようと思ってます。
日々、草管理に追われます。
しかし、雑草が生い茂る畑には一つ良い事があって、その畑を耕作すると野菜の育ちがすこぶる良いのです。
有機物が堆積して、良い堆肥になり、微生物が繁殖するからです。
土を育てるという意識ではいますが、毎年野菜を収穫し、更に一年二作とかやってると土は痩せていく様です。
収穫した相応の分、肥料を入れなければなりません。
一年一作、時には一年無作によって、土は消耗せずに豊かになっていくんじゃないかと思います。
だったら「土を育てる」って意味は何だろう?
「土は勝手に育つ」じゃないかとなってしまいます…よね⁈
先人達とから伝え聞く話をまとめて考えると、人間が食べる野菜を、さらには同じ作物を、同じ土地で育てる事によって、ウリならウリ、ナスならナス、に“微生物がカスタマイズ”していくのではないかと思います。
連作すると障害が出るというのが農業界の一般知識としてあるんですが、多作で畑を酷使すると土自体消耗してしまうから、そして化学肥料と農薬を使うと微生物が根付いていかないからではないかと思います。
“雑草半作=堆肥化”と“微生物のカスタマイズ”によって土が育つと、肥料にもあまり頼らなくて済む様です。
管理できずに畑を荒野にしてしまうのか、本当に今の段階ではギリギリで、拡大していく事にリスクはあるのですが…
上手く活かせる可能性はあります。
畑を酷使せず贅沢に使って、肥料も使わず省エネに、自然に負担の無く、人間に安全な農業ー
もしかしたらこれか未来の農業では⁉︎
と思い至った訳です。