インフォメーション
有機JAS認証の取得を検討してます。
有機JAS認証を持っていないと、”有機農産物、有機農家”とは公に認められません。
「ユウキ、ユウキ」と散々宣伝してますが、私は現在、”エセ有機農家”です。
当初はあまり関心が無かったのですが、最近は公式に認められる事も必要かと考える様になりました。
取得しない理由は他にもあります。それは
①畑の大半が他の人の畑と隣接しており、隣が農薬を使用してれば不認可になる為、不適とみなされる事が予想できる
②査定に毎年一定の審査費用と書類提出の手間が掛かり、小規模多品目栽培ではむしろ負担になる
③支持者の方でさえ半数は有機JASに価値を感じていない
④審査費用が掛かる分、商品の値段に反映され、敷居が高くなれば直売ではむしろ支持を失う為
です。
長野県に限らず多くの生産者は有機にしたくても、小さい畑(各畑、地主が異なる)の分散や少量多品目栽培という壁があり、JAS認証を取るデメリットの方が大きいと感じる人は多いのではないかと思います。
しかし自分の場合、規模と販路を拡げれば拡げるほど、多品目でやっていく事が難しくなり、単品目を一つの柱として集中する必要が出てきました。
認証を得られる畑が増えてきたという事もあります。
もともと関心の無い消費者に支持してもらう事の難しさも、
5年間、直売に出荷して感じた事です。
方向性に迷いがありますが、この先、
多品目栽培にするにせよ、大規模化するにせよ、
有機農家と公認される事は間違いではないと思うのです。
あけましておめでとうございます。
年末からずっと、新年からの方向性についてブログの内容を考えていましたが、、
一向に頭の中がまとまりません。
延々と先に進めないので、頭の中をとりあえず出してしまいます。
右の人参は専用の洗浄機で洗った人参。(機械は他所の農家に借りました)
左の人参は一本一本手で洗った人参。
味も僅かに違います。
右は雑味の無いスッキリした無垢な味。
左は複雑で奥深い大人の味。
思い込みかもしれませんが。
実際、皮の部分に栄養があり、外敵から身を守る物質で覆われ、共生微生物は皮の外に取り憑く。
この”薄っぺらな皮の部分”に何か意味があるのだ、
と、もがいてるのが自分です。
何かというのは”間”です。
人と人との間、時と時の間、コマとコマの間を排除する事で進歩してきた文明に“間”を回復させる。
それが有機的な生業をする者の目的なのではないか?と思ったのです。
でも、考えるほどにまともじゃありません。
洗浄機で洗えば5倍の人参が同じ時間で綺麗に洗えますし、農薬を使えば除草は5倍作業が楽、と言う人もいます。
農業で生きていくためには”間”は削らなければならないと思います。
鉄腕アトム以降、人類皆”科学の徒”です。
安く大量生産で、コマを飛ばして文明は進歩してきた。
百万馬力のリミテッドアニメーションです。
原発事故はアトムの終わりの象徴し、これから"間"は復活する。という気がするのだけど、
世界情勢はそっちに足を向けている、という声も聴くのだけれど、
でもそんな未来はいつやってくるのかわからず、自分はファストな時代に乗っていかないと、消滅してしまう。。
有機的に自立するためにはジブリアニメみたいなパフォーマンスが必要なのに、自分は一馬力の力もないのです。
だから自分はどこに向かえばよいのか…?
なにか馬鹿な妄想のポケットに落ちてるような気もします。
シンプルに考えられればいいのですが、
中途半端は思考もエネルギーも分裂します。
自分が教わったのは有機的な農業なので、これを軸に今後も業を営む事に変わりありません。
でも自分の活かし方がよくわからない、、
で現状、頭の中はぐるぐるしてる状態です。
言ってる事が伝わってるでしょうか?
馬鹿なんでしょうか?
とにかく前に進みたいです。
つづく
…かわかりませんが、 しばらく考える事になりそうです。
冬を前に野菜を土に埋めて貯蔵します。
長野市では12月後半に降雪が始まり、気温も氷点下に入っていきます。
積雪や氷点下が続くと、寒さに強いとされるダイコンや白菜、人参も凍ってしまい普通には収穫できなくなり、凍み腐れを起こすので、それまでに一度掘り上げた野菜を根元まで土に埋めておくことで、冬に野菜を保存する事ができます。
関東平野などの暖かい地域では微生物が活動を停止しないため、土の中で喰われてしまいますが、長野ではその寒い地域性を活かした保存方法が所々、引き継がれています。
また市場で価値を持たない無農薬野菜は生産しても沢山は捌けないので、長く保存し、少しずつ出荷する事で農業収入を得られ、かつ厳しい冬の季節でも自活できるのです。
非効率ですが、これに挑戦する事も信州で農業を営む醍醐味です。
しかし、野菜は一度彫り上げると擦り傷がつくため、見栄えが悪く、スーパー等ではゴミとみなされ、半日で半額にされたり、廃棄されてしまう事がしばしばあります。
そうすると、”何か”が死ぬ。
自分のしている事はズレた事ではないか?とも思う。
大抵はそれで黙って自省して、自己修正して、和解ればいいけど、和解らないまま沈黙したりもします。
それがたとえ恥でもエゴでも、”何か”があるなら、あえて発してみるべき事があるかと思います。
正しい事を言うと反動で苦しむぐらい、ム盾だらけの人間でありますが!
何が正しいのかは一つでは無いし、むしろ正しい事なんてどうでもいいんです。
沈黙が空気を読み、気持ちを察し、謙遜し、自重し、忖度し、誤解し、歪み、搾取され、傷つき、精神を病み、自殺を産む…善し悪しあります。
生きている事を知らせるには、発さなければならない。
空気を読んで生きていけるのは、その空気を吸える”モノ”だけで、そうでない”モノ”は、仕方がないと、迷惑をなるべく掛けないようにと、ひっそりと、この世から、消滅するのです。
観えないけど、”何か”があるんです。
ニンジンを収穫してます。
今年はおおむね形も大きさも良好です。
虫の食害の少ない無農薬野菜の代表格、ニンジン。
本来発芽さえしてしまえば半分成功したようなモノで、雑草さえどうにかすれば、栽培の容易な野菜と聴いていました。
しかし自分の場合なかなか上手くいかず、
発芽に失敗もするし、発芽しても土がガチガチに固く、
生長が遅く、折れ曲がったり、先細りしたり、
の繰り返しでした。
根菜が育つには土壌を有機物で満たすことができてから初めて容易に育つと言えるものの様です。
私の畑は標高の低い山のふもとにあり、土は粘土質で、根菜は栽培しにくい地域です。
しかし粘土質の土で野菜を育てると生長にストレスがかかり、植物ホルモンを生成するため、その結果味を良くすると言います。
今年のニンジンの畑は粘土質と有機物の量がちょうど良いバランスで機能しました。
”屈折”する事4年、ようやくニンジンも堂々”ムノウの野菜”と言える事ができそうです。
”人参讃歌は有機の讃歌
生命の有難さは有機物の有難さ
有機農とは有機物から微生物を介す事でエネルギーを作物のものとする事
化学肥料やストレスの無い環境で育った人参は有機物の有難さを知らない
有機物の有難さを知らずに育った人参にとって微生物は無きに等しい存在
微生物無き生命は生ける屍も同然!”
なのです。
長野市では使われていない畑、耕作放棄地の有効利用の対策として、ソルガム(和名タカキビ)の栽培を推奨しています。
私の畑周辺地域も空き畑が増えており、今後の事も考えて、今年"赤もろこし"(タカキビの一種)の栽培を試みました。
脱穀は全て地元の協会に委託できますが、大量の残さが出ます。
聴けばこの長野市中から集まったソルガムは全て無農薬、かつアレルゲンフリー(小麦や蕎麦殻とも分別している)との事。
勿体無いと思い、赤もろこしもろとも、ソルガム残さを回収させてもらい、堆肥化してみる事にしました。
米糠ボカシをほんの少し混ぜて積み上げると、3日もしないうちにホカホカに発酵。
米麹の上品な香りと比べ、雑味ならぬ雑香がありますが、良い匂いです。
人間の鼻が良い匂いと判断すれば、畑にとっても良い発酵をしている証拠です。
長野市中の無農薬ソルガムの殻が(および赤もろこしのポリフェノールが)畑の一隅に集まり、
微生物の餌場となり、エネルギーを放出し、産生し、
土壌を育み、野菜を育てる力になる。
気は微生物だという人がいます。
気力は”微生物力”、元気は”源の微生物”。
堆肥は微生物による発酵エネルギーの塊、畑の元気そのもの。
信州産ソルガム堆肥は信州の"元気玉”です。(消毒してはいけません!)
日本はエネルギー資源の乏しい国です。
エネルギーが枯渇しているから日本全体に元気が無くなる。
日本にあるのは自然のもたらす有機物のみ。
再生はもう一度農業から始まるのでは無いか?
という“可能性”を考えてみるのです。
信州産ソルガム普及促進協会
www.sorghum-nagano.com