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今年の秋は失敗続きでした。
葉物野菜が育たず、何度も種を蒔きなおしました。
知識も経験も不足でしたが、
有機栽培から無肥料栽培への転換は簡単にはいかないようです。
一昨年辺りから鶏ふんを控えて、ジワジワ少肥にしていたのですが、
今年一度も肥料を入れなかった畑では秋、野菜が育ちませんでした。
自然栽培は有機農業の延長と考えていましたが、まだよくわからない壁がある様です。
土の中でのエネルギーの循環が違うのだと思います。
ですので今はまだ畑ごとに栽培方法をしっかりと割りきる必要がありそうです。
自然栽培に向いてる品種は昔からある在来種だと言います。
採種を繰り返すと野菜が段々原種に近くなるそうです。
地域の在来種である伝統野菜も、
近代農業の中で引き継がれてきたことには代わりありませんが、
遺伝的に安定しているためf1種よりも環境変化に強いそうです。
自然栽培と伝統野菜はセットで考えるのが良いのかな?と思います。
話がやや飛びますが、
進歩をすべきなのか、
伝統を保守すべきなのか?
ターニングポイントはどこなのか?、、
は、そこら辺にヒントがあるかもしれないと思いました。
地球は今、寒冷化の周期にあるようです。
人の営みが温暖化をもたらしているならば、人類が進歩によって自然を克服しつつあるのかもしれません。
でも歴史的な転換点が地球環境に左右されていた事を鑑みると、時代が変化を迎える可能性は高いです。
そしてその時に伝統的な物が求められるのではないかと思いました。
農業では、
文明の進歩によってF1種が産まれ、野菜がある意味で多様化してきたけれども、
それは文明の進歩と共に、資源や資金が有ることか前提になっています。
その資本の内の何か、例えば農薬等が滞ってしまえば、多くの新しい野菜達は存在することができず消えてしまいます。
逆にその前提条件の前に存在してた伝統的な品種は生き残る可能性が高くなってきます。
地球の寒冷期を生き残った種があるはずです。
生物が絶滅しそうなほどの厳しい自然環境がやって来た時、
多くの新しい品種は消えて、
自然的環境で育った原初の野菜が次代に存続されていく可能性が高いと思います。
伝統的な物の価値は、某かの前提条件が崩れた時に初めて見直される事になります。
人類の進歩と地球環境の変化がせめぎ合い、
もし進歩の方に向かう体力がないならば、
伝統に戻ってもう一度体制を立て直す、
ということを歴史的に人は繰り返してきたのではないか。
その時伝統が残ってなければ、存在ごと消えてしまうかもしれません。
もし乗り越えられない時に初めて(改めて)伝統的な物が真価を発揮するのではないか?
グローバルな大企業は必ずしも私たちを守る存在ではないし、在来の種子を遺すとは限らない。
"日本(もしくは信州)というアイデンティティ"を持った種子が残っていなければ残っているほど、
万一国が滅びかけても甦る可能性が高い、とは考えられないでしょうか?
進歩主義の中では役に立たない伝統や前時代的農業は、そこでようやく陽の目をみるのかな?と思います。
一応言っておくと、
自分は大抵進歩的な物が好きです。
F1種も、新しい商品も、外国の見たこと無い食べ物も、青くて甘いお菓子も、好きです。
どちらかが悪とは決めつけられません。
エネルギーバランスの問題です。
私は有機農業をしているのでその価値を伝えなければならない概念です。
最近大分話が大きくなってますが、
唯の凡個人としての自分自身を忘れてはならない。
農業はいつも失敗だらけで一からやり直しです。
滅びる前に復活しなければ生けませんね。