試み4、自然の野菜

自然の野菜は肥料を使わない野菜です。

肥料を使わず育った野菜の種を更新することで、植物が持ってる本来の自力を引き出します。

 

自分が考える自然農の意味は

一、種子の確保

二、免疫の獲得

三、思想

があります。

 

 

一つ目の種子の確保、

 

日本で栽培されている野菜の種は殆ど外国産です。

日本ではコストが高く、気候も梅雨時と重なる為、外国の方が生産しやすいそうです。

そして生産は外国の大手企業に委託するのが通常だと言います。

 

そのような状態だと、去年の様な緊急事態に供給がストップする可能性があります。

また円の価値が下がっているせいか、独占が進むせいかわかりませんが、種の値段は近年高騰しています。

化学肥料も外国産頼りですので、野菜を作るコストは上がっていきます。

 

種子の生産を外国や一企業に依存しない、

化学肥料に依存しない、

多様な在来種を残す、

これらは課題になるものです。

 

 

二つ目は免疫の獲得、

 

赤ちゃんは物を口に入れます。

ばっちぃですが、もしかしたらその行動はバイ菌を取り込んで免疫力を強めているのかもしれません。

人類が魚や猿の時代に、土を舐める習性が今も残っていると考えることもできます。

 

私達をコントロールする腸内細菌は、外の情報を取り入れたがっています。

外部にある情報を取り入れ、

栄養なら吸収し、

有用な微生物は仲間にし、

毒物や敵に対しては免疫を作る。

 

"お腹のヒト"達も外界の情勢に適合しなければなりません。

引きこもってばかりはいられないのです。

 

化学物質の蔓延する社会に適応するなら、農薬のついた野菜を食べる事も必要かもしれません。

ウイルス社会に適応するなら、

"自然の野菜を食べるべし"です。

 

 

三つ目、思想、生き方

 

「科学に依存してきた自分は

今さら野生に戻る事は避けたい」

 

思想と言っても、全く次元の高い話でなく、これが己の俗物としての思想です。

 

生きる事がより安全に、快適に発展していくのはそれで良いのだと思っていますが、一方で

"生きられない"

という予感が強まっていく。

 

私は引きこもりの時に「厳しい現実を生き残ることが出来ない」

と思っていました。

 

科学の恩恵無くして、

物質的豊かさ無くして、

自分という種は生き残る事ができない、と…。

 

他人の事はわかりませんが、

科学や外国に食物を依存した社会では

未来を生きられないという思想

集合的無意識の所で産んでいるのではないかと私は思います。

 

依存なく自力で育つ野菜を食べている世界が仮に成立するなら、

生きる意思を取り戻せるかもしれないと思うのです。

 

 

自然農は有機農業の考えをより先鋭化した農業かなと思います。

 

生産性等を踏まえSDGs時代に適するのが有機農業。

自然農はグローバルAI農業に対するカウンター農業

です。