インフォメーション
資材は高くなっていても、地元の野菜は安い。
古い農家は農業をどこまで無価値にするつもりなのか?
薄利多売は消費者にとって正義でも、産業にとっては新芽を摘み取る自虐行為!
という自分も、
価値を安く見積もる癖がありますが…
これ以上価値を下げる様なやり方には希望が持てません。
価値を下げず生き残る者には必ず支持者がいる。
下世話な事を言うと、
富を握る資本家とリンクする事が生き残る条件となる。
資本家="金を産む存在"、
微生物の世界にも"金を産む存在"はいるのか?
自然農は肥料という投資無しで野菜を育てる農法ですが、
投資がなくても育てやすい野菜というのはある傾向があります。
一に育てやすいのはイモ類です。
芋は種芋自体に栄養が貯蔵されていて、
痩せた土であっても、自らの栄養資本を元に微生物を雇い、養って、土壌に秩序を形成していきます。
芋は微生物にとって"金"です。
イモ類についで育てやすいのはマメとネギ類。
雑草に負けやすいのが難点ですが、除草してマメに管理してやれば育ちます。
イモ、マメ、ネギ。
これらに共通するのは"オリゴ糖"。
オリゴ糖は野菜と微生物のエネルギー源であり、肥料の要らない資本金なのです。
因みにイモの中でも最強の芋はキクイモです。
どんなに痩せた土でも、どんなに下手な農家(私)でも、
必ず大きな株となって資産を増やす錬金作物。
実際に人社会で換金するには難しい事も多々ありますが…
我々の腸内にとっては有効でしょう。
"微生物の金"を食べれば、経済的に貧しくても心身は豊か。
すなわち、
「オリゴを制する者は富を制す」
のです。
今年の秋は失敗続きでした。
葉物野菜が育たず、何度も種を蒔きなおしました。
知識も経験も不足でしたが、
有機栽培から無肥料栽培への転換は簡単にはいかないようです。
一昨年辺りから鶏ふんを控えて、ジワジワ少肥にしていたのですが、
今年一度も肥料を入れなかった畑では秋、野菜が育ちませんでした。
自然栽培は有機農業の延長と考えていましたが、まだよくわからない壁がある様です。
土の中でのエネルギーの循環が違うのだと思います。
ですので今はまだ畑ごとに栽培方法をしっかりと割りきる必要がありそうです。
自然栽培に向いてる品種は昔からある在来種だと言います。
採種を繰り返すと野菜が段々原種に近くなるそうです。
地域の在来種である伝統野菜も、
近代農業の中で引き継がれてきたことには代わりありませんが、
遺伝的に安定しているためf1種よりも環境変化に強いそうです。
自然栽培と伝統野菜はセットで考えるのが良いのかな?と思います。
話がやや飛びますが、
進歩をすべきなのか、
伝統を保守すべきなのか?
ターニングポイントはどこなのか?、、
は、そこら辺にヒントがあるかもしれないと思いました。
地球は今、寒冷化の周期にあるようです。
人の営みが温暖化をもたらしているならば、人類が進歩によって自然を克服しつつあるのかもしれません。
でも歴史的な転換点が地球環境に左右されていた事を鑑みると、時代が変化を迎える可能性は高いです。
そしてその時に伝統的な物が求められるのではないかと思いました。
農業では、
文明の進歩によってF1種が産まれ、野菜がある意味で多様化してきたけれども、
それは文明の進歩と共に、資源や資金が有ることか前提になっています。
その資本の内の何か、例えば農薬等が滞ってしまえば、多くの新しい野菜達は存在することができず消えてしまいます。
逆にその前提条件の前に存在してた伝統的な品種は生き残る可能性が高くなってきます。
地球の寒冷期を生き残った種があるはずです。
生物が絶滅しそうなほどの厳しい自然環境がやって来た時、
多くの新しい品種は消えて、
自然的環境で育った原初の野菜が次代に存続されていく可能性が高いと思います。
伝統的な物の価値は、某かの前提条件が崩れた時に初めて見直される事になります。
人類の進歩と地球環境の変化がせめぎ合い、
もし進歩の方に向かう体力がないならば、
伝統に戻ってもう一度体制を立て直す、
ということを歴史的に人は繰り返してきたのではないか。
その時伝統が残ってなければ、存在ごと消えてしまうかもしれません。
もし乗り越えられない時に初めて(改めて)伝統的な物が真価を発揮するのではないか?
グローバルな大企業は必ずしも私たちを守る存在ではないし、在来の種子を遺すとは限らない。
"日本(もしくは信州)というアイデンティティ"を持った種子が残っていなければ残っているほど、
万一国が滅びかけても甦る可能性が高い、とは考えられないでしょうか?
進歩主義の中では役に立たない伝統や前時代的農業は、そこでようやく陽の目をみるのかな?と思います。
一応言っておくと、
自分は大抵進歩的な物が好きです。
F1種も、新しい商品も、外国の見たこと無い食べ物も、青くて甘いお菓子も、好きです。
どちらかが悪とは決めつけられません。
エネルギーバランスの問題です。
私は有機農業をしているのでその価値を伝えなければならない概念です。
最近大分話が大きくなってますが、
唯の凡個人としての自分自身を忘れてはならない。
農業はいつも失敗だらけで一からやり直しです。
滅びる前に復活しなければ生けませんね。
今年は自然栽培(無肥料無農薬栽培全般を総称して)の畑を増やしました。
生産者と販売者側は流行してる気がするのですが、消費者側からのニーズは殆ど聴こえてこない、ある意味最先端の農業です。
消費者は自然栽培に期待などしてないと思いますが、
それでも農家の側に期待してる人が多いのは
"浪漫"があるからです。
自然栽培の元々のニーズは
肥料の窒素分による環境汚染や
健康被害を危惧する声があったからですが、
最近注目される理由としては、
抗生物質を打ったり、除草剤を使った飼料を摂取した家畜から出る糞尿を肥料として使う事に抵抗がある、健康被害を心配する、
と言う理由がある様です。
日本の有機JASが世界では通用しないと言われる所以です。
日本ではそもそも抗生物質を使わないで育った家畜の糞などほぼ入手できませんので、それ無しでは有機農業は成立しません。
菜種油などの植物性無農薬肥料も入手困難です。
なのでヨーロッパの厳しいオーガニックの基準に合わそうとすると、日本ではそもそも有機農業インフラが無く、
自然栽培しか選択肢がなくなると言うことになります。
注目される理由の三つ目に
コロナ禍、ウクライナ紛争の影響下、燃料や資材が高騰し、化学肥料や農薬は二倍近く値上がりしており、農業の在り方に変化が起きつつあります。
様々な課題に対して一定の批評性がある自然栽培に追い風が吹いている様に感じます。
肥料の無い自然の環境で育った種は野生を取戻し、環境に適応し強く育つ、とされてます。
自分の自家採種はそう簡単にはいきませんが、何年も続いてる種子は確かに強いと感じられます。
もし栽培が出来るのなら日本だけでなく地球の問題を解決できるかもしれないー
それが農業従事者の"浪漫"。
しかし、生業としての自然栽培はあまりに収穫量が少なすぎます。
慣行農業は元より、世界のオーガニック基準とも肩を並べるのは無理があります。
戦中の日本とアメリカぐらい生産力の差があると思います。
ファンタジーなのか?現実可能なのか?
日本的視野で閉じてしまえばファンタジー、
世界的視野で価値観が変われば現実化可能。。
大局の事は考えてもしょうがないので、
寝ます。z
春はあけぼの、夏はズタボロ。
今年の夏も忙しい日々でした。
多品目で契約栽培も通販も新たに挑戦し、初夏までは順調でしたが、、
7月に入ってからは全部の作業が回らなくなり、唯々カオスでした。
今年の夏は多雨により豊作でしたが、
野菜の価値は安く、忙しい割に売上はいまいちでした。
不況も響いている感じがします。
消費者マインドは安物指向に傾いているかもしれません。
暫くこれから貧困の時代がやってくると言われますが、
とにかく覚悟して、粘り強く不況を乗り越えなければなりません。
それには今までの「安かろう良かろう」精神が良いとは思えません。
安かろう良かろうは本当はやっぱり悪かったんじゃないか?
安物の大量消費が貧困を招くんじゃないかという気もするのです。
人間が器で実体が腸内細菌の方だとしたら、私たちの貧困は腸から始まっていたと言えます。
「過剰な糖質」「添加物」「農薬」「酸化した油」等は皆、大量消費の為に発明された"安物の原料"です。
もちろん多くは人類を飢餓から救う為の発明として考えると、すごく重要な発明でもあるのですが…
不思議なことに腸内細菌を主体にすると逆転するのです。
腸内細菌にスポットが当たって久しい昨今、
飢餓を越えて、個体として健康寿命を伸ばすことにフェーズが移行しています。
大量消費指向、安物指向から脱却できない人類は、
新時代に乗り遅れて取り残されていく運命なのではないかと思います。
だから私達はたとえ経済的貧困になろうとも、"腸内的富裕"でなけらばなりません。
逆に腸内が富裕層ならば、新時代に適合していけます。
みんなで腸内富裕層を目指しましょう。
腸内富裕層はオーガニック野菜の食物繊維をたっぷりとります。
しかしオーガニック野菜以外は食べ過ぎず、腸内は常に清貧です。
実はこの清貧が富をもたらしているのかもしれません。戦後の日本人の様に。
腸内セレブこそがこれからの日本の未来を創って行くのです。オソマツ
炭の畑が黒畑ならこちらは赤畑。
春アマランサスの種撒いて、夏に漉きこみ、秋冬野菜を育てます。
炭の効果は研究されていますが、アマランサスを緑肥に使用するというのは聞いたことがありません。
テーマは「アンチエイジング」。
赤い植物には抗酸化物質が含まれミネラルも豊富です。
それを畑に漉き込んでやることで畑に住む微生物などの生態系に活性を促し、そこで後作に野菜を育てるという試みです。
自分の思い付きなので、なんの確証も無く心がブレます。
アマランサスを大きくし過ぎて、こぼれ種から発芽したり、
粗大な残さで大量に虫が発生し食害にあったりと、
後作の失敗を産んでいることも多いです。
そういうことが何度かあると、自分のやってることが意味無いのでは?と弱み自分はつぶやく。
少し規模を小さくして、
且つ厚めにアマランサスを撒くことにしました。
何事も新しい生命を産むには丁寧に、神経を細かくして観てやらねばなりません。
私は意識散漫でそういうのが苦手ですが、野菜も人も、育てるのが上手な人はここら辺の気遣いができる人だと思います。
とにかく何が産まれるか、
そもそも産まれてくれるのかもわかりませんが、
自分のワクワク感に従って毎年継続します。
人間がポリフェノールたっぷりの植物を食べて若返るのなら、
人間の腸の延長である畑の微生物がポリフェノールたっぷりの植物を食べて若返らない理由は無い!
無いはず。
無いんじゃないかな?
植物は基本、緑色。
全てが緑の中に何故か少しだけ赤い植物がいる不思議。
黄色も青色も無いのに、
少しだけ赤色が有る。
全ての植物が赤くなる事も有り得るだろうか?
なにか意味が有るはず…