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信州の冬、
大地は凍てつき、
野菜も凍ってしまいます。
根菜等の野菜は土中に埋め、貯蔵する事で冬に備えます。
それは昔からある北国の人の生活の知恵です。
冬は貯蔵した野菜のクズ=残さが沢山でるので、畑にバラまきます。
残さは春から秋にかけてはあまりに沢山だと、
大きい分解者(虫やミミズ)を発生させるため、
扱いに注意が必要な様なんですが、
冬はむしろ良いのではないかと考えてます。
"畑は人間の腸の延長"。
"腸内細菌の故郷は畑の土"
です。
腸内細菌達は過酷な自然の天候から生き延びるために、船を造りました。
「ノアの方舟」とは私達有機生命体のことです。
方舟に乗れなかったヒト達も当然いますが、
私達だけが救われた訳ではありません。
方舟に乗らなかったヒト達も
仮死化したり、植物の根にしがみついたりして、
干ばつや、洪水や、厳冬を乗り越えて、
今も生き残っています。
畑の微生物は冬眠し、
有機物は腐敗しないので貯蔵が長持ちします。
土の上に残された植物の残さは、
凍っては溶け凍っては溶けを繰り返し、
気温の変化によって組織が自然分解します。
人間が野菜を煮込むのと同じです。
野菜を煮込むと食物繊維はクタクタに断裂し、
栄養素は水分の中にじっとり溶け込み、
腸の微生物にとっても食べやすいご馳走に変わります。
私達人間及び腸内細菌は、
野菜を煮込むことで消化を良くし、
英気を養うことで
冬を乗り越えていく。
一方、畑の微生物達は
冬中眠りながら、
野菜がクタクタに煮込まれるのを待ち、
気温の上昇と共に目覚めた頃には、
目の前にご馳走が拡がっているという寸法です。
微生物の暮らしの知恵は
云万年の時ををかけ、
私達の記憶として残されているのかもしれません。
前半続き
花芯を食べられるとその時点でキャベツの生長が止まり、
キャベツも死んでしまうし、
中の芋虫もそれだと餓死してしまいます。
毎度この花芯を食べられやしないかと、ヒヤヒヤするのですが、
殆んどそれは見たことがありません。
もしかしたら彼らは"意識"を持っているのてはないか?
"花芯を食べたら終わり"だと
わかっているのではないか?
これはキャベツにつくモンシロチョウの幼虫に該当する事で、他のアブラナ科につく虫も同じというわけではありません。
キャベツと違って隣に移動するのが楽だからかもしれませんが、
株を食い尽くしては隣に移動していきます。
モンシロチョウの幼虫だけが違う性質を持っているのかもしかれません。
その進化を"知性"と呼ぶとして、
モンシロチョウに知性があるとすれば、
人間との交渉もできるのでは?
つまり、
「キャベツの端だけ食べるのなら、人間はあなたを襲いませんよ。」
とわからせれば、モンシロチョウはいつかそう進化するのではないか?
交渉といいましたが、全ての芋虫を生かすわけではありません。
中にいる芋虫は潰し、
外っ葉についている芋虫は見逃す、
それを何年も繰り返してるうちに
芋虫は意識するようになる
=進化する、ということです。
これによって、芋虫の生態も変わっていくはずです。
はず。
従来は交渉の余地なしと農薬で一斉に殺します。
それだと虫も卵の数を増やす様に進化します。
病原菌と同じです。
農薬に強くなり、
繁殖力を高めていくばかりです。
虫との交渉が可能なら生態系を壊さず、共存する道になる。
なるはず。
深謀遠慮すぎて謀り事になってない、
まさに「無謀」
ただの自然の営みとも言う。
しかしこれこそが、
人と環境とが共存する最も理想的な在り方なのでは?
と妄想える次第。