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雨が続きます。
前回の台風による被害はありませんでしたが、例年にないパターンの大雨続きで、先行きに不安を感じます。
仲間の生産者や知人のお客さんの多くが被災地のボランティアに駆け付ける中、自分は一人、家の中と畑の片づけをしていました。
最近は野菜の売れ残りも多く、大量に廃棄が出てます。
家の中は色んな収穫物や貯蔵物、種採り用の果菜類、ハネだしの野菜等が家の一角を占拠し、
繁忙期に放置した書類、品目ごとのバーコードやシールも積み重なり…
そして畑には、春から放置しっぱなしの被覆資材、支柱、ネットなど大量の″モノ”が溢れます。
畝を被覆するマルチのゴミは毎年大量に出ます。
リサイクルも試みていますが、捨てないでいると増えていく一方です。
身の回りの環境が心を曇らす
モノが多すぎると、流れが滞ると、腐敗するー
だから片づけなければー
…という衝動に動かされたのですが、、
今は簡単に捨てる事もできない世の中なのでした。。
“反モノカルチャー”=規模の小さい野菜農家は”多様”の消化に悩まされます。
今まで考えてませんでしたが、「終息するデザイン」が必要だと思います。
と言っても、何も見えてないんですが…
とにかくそう感じます!
もちろん新たな代謝の為に。
鬱の季節がやって来ました。
私は人類のアポトーシスです。。orz
初秋は毎年、気分が重くなります。
これは農業を始めて初めて実感し、都会に住んでる頃はあまり意識されない現象でした。
天候や土と密接に関わると、感覚が敏感になる気がします。
私はこれを微生物の死(と再生)の所為ではないかと思ってます。
冬、0度を下回ると殆どの微生物は活動を停止し、
春が来ると微生物は活動を始めます。
微生物は温度によって生態系が異なります。
なので夏から秋にかけて、活動を停止する微生物群がいるのではないかと。
長野県では秋冬野菜の種蒔きは夏秋の気温の境目に行われます。
この時期を逸してしまうと次に作物が育つのは春、
ということになってしまうので、とても重要な季節です。
このタイミングで野菜の生長は急激に変わります。
夏野菜は生長を停止し、秋野菜は生長を始める。
大地のエネルギーの量が微生物の量に比例するとすると、
熱エネルギーは微生物の生息量。
秋になると気温が下がり、夏の微生物が一変に活動を停止し、
一時的な一分の微生物層の死がやって来る。
農業は生死を媒介する聖職者でシャーマン
大地の死が、己の腸と脳にリンクし、伝わって来たー
のです。
だから「季節の鬱」がやって来ても、
「アァ」と唸りたくなっても、
気にしないで下さい。
単なる微生物との“感傷”です。
秋には秋の、微生物の繁殖期がやって来ます。