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2019-12-19 16:33:00
沈黙の冬に神は宿る

冬を前に野菜を土に埋めて貯蔵します。

長野市では12月後半に降雪が始まり、気温も氷点下に入っていきます。

積雪や氷点下が続くと、寒さに強いとされるダイコンや白菜、人参も凍ってしまい普通には収穫できなくなり、凍み腐れを起こすので、それまでに一度掘り上げた野菜を根元まで土に埋めておくことで、冬に野菜を保存する事ができます。

関東平野などの暖かい地域では微生物が活動を停止しないため、土の中で喰われてしまいますが、長野ではその寒い地域性を活かした保存方法が所々、引き継がれています。

また市場で価値を持たない無農薬野菜は生産しても沢山は捌けないので、長く保存し、少しずつ出荷する事で農業収入を得られ、かつ厳しい冬の季節でも自活できるのです。
非効率ですが、これに挑戦する事も信州で農業を営む醍醐味です。


しかし、野菜は一度彫り上げると擦り傷がつくため、見栄えが悪く、スーパー等ではゴミとみなされ、半日で半額にされたり、廃棄されてしまう事がしばしばあります。

そうすると、”何か”が死ぬ。



自分のしている事はズレた事ではないか?とも思う。
大抵はそれで黙って自省して、自己修正して、和解ればいいけど、和解らないまま沈黙したりもします。
それがたとえ恥でもエゴでも、”何か”があるなら、あえて発してみるべき事があるかと思います。

正しい事を言うと反動で苦しむぐらい、ム盾だらけの人間でありますが!

何が正しいのかは一つでは無いし、むしろ正しい事なんてどうでもいいんです。

沈黙が空気を読み、気持ちを察し、謙遜し、自重し、忖度し、誤解し、歪み、搾取され、傷つき、精神を病み、自殺を産む…善し悪しあります。

生きている事を知らせるには、発さなければならない。

空気を読んで生きていけるのは、その空気を吸える”モノ”だけで、そうでない”モノ”は、仕方がないと、迷惑をなるべく掛けないようにと、ひっそりと、この世から、消滅するのです。


観えないけど、”何か”があるんです。


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