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種取りは種苗会社の委託による商用としての種取りと、有機種子としてや自然農法のルールの中での種取りをしています。
やることが多いと、一つ一つの仕事への集中力が無くなってしまってあまり良くないのですが、現在これも一つの試みとして。
最終的には試みを絞らなければならないと思いつつ…。
色々試しながら、概ね土地に馴染んだ日本や長野県の在来品種をなるべく選んでいます。
種苗法の改正にあって、在来種は採種が禁止対象になりづらいと言うこともあります。
商売で優良な種を採るには化学肥料と農薬を使うことは断然有利です。
必須といっても良いほど、お金を儲けるにはそうしなければ成り立ち難い事が無農薬無化学肥料でやってみてわかります。
しかしその品種自体は化学肥料と農薬があるのが前提条件の品種となっていきます。
逆に言えば、無いと生き残ることができない種になっていきます。
それは「種の家畜化」です。
食物の種子、家畜、ペット、そして人間。
みんな同じ時代の潮流に従って生きております。
流れだからどうしてもその方向に行かざるをえません。
そういう大きい潮流に乗るからこそ、その中で適応できるという面があります。
しかし、潮流に乗っていると我々は段々自動的になり、個性を失っていきます。
生命としての無気力感が生まれます。
私は何故だか個性を失くすのが怖いです。
個性は生命力だと思います。
個性は捉え方が色々ありますが、広い視野で見ますと一つは日本というアイデンティティです。
西洋の植民地支配を逃れている国は歴史が残っています。
歴史があるということはアイデンティティを持っていると言うことです。
日本は辛うじて歴史を繋いでいます。
教育はまともに受けてませんが、辿る事は可能です。
だからヨーロッパの先進国同様にルーツを守る事には意味があります。
ヨーロッパにブランド力があって、日本にブランド力が無い様に感じるのはルーツを無視しているからだと思います。
家畜化した私達は個性を失って、自動的に統合されていく。
ルーツを持っていれば、そういう時の生きる力に成りうるのではないかと考えました。
だから「脱家畜化」です。
日本の土に馴染んだ種を残す事はルーツを認識して、アイデンティティを取り戻す為の所作なのです。