インフォメーション
私は目的を見つけなければなりません。
自らを行動に駆り立てる、人生をそこにつぎ込んででもこだわりたいと言う様な、個人的な体験や認識に根差した"意味"が見いだせない…
心の奥底から来るような動機がなければ、目的意識は芽生えません。
"仮想敵"が何かと散々考えていたら、前に考えた事と同じになりました。
昔から物覚えが悪くて、何回も同じ事を言っていたらすみません。
我々は豊かな食文化を育んできましたが、どこか行き過ぎてるのではないか?
「行き過ぎ」は「粋すぎ」と言ってもあまり変わらないかもしれない。
日本人はピュアなものが好きですが、純粋主義はもしかしたら悪かもしれない、と思います。
食の粋を極めた結晶が、真っ白なお米や小麦粉や日本酒だったりします。
つまり純粋=精白です。
極めることは悪くないのですが、これは本当はあまり食べてはいけない嗜好品の類いなのではないか。。
これを9割以上の国民の常食にしてしまうと、狂いの元です。
味の粋を極めたら味の素になります。
化学調味料の塊が純粋の極みになってしまってはいないでしょうか?
純粋主義は複雑な味が苦手です。
複雑な味は全部不味いと言って切り捨てる。
結果、子供の味覚のまま成長しなくなります。
そういったことが、精神そのものが育たない事に繋がるのではないかと仮定します。
「行き過ぎ=粋すぎ」は悪を生みます。
私は頭が悪い事が凄くコンプレックスなのですが、真っ白なご飯食べると頭悪くならないでしょうか?
精製された糖質は血圧を乱高下させ、鬱や糖尿病の原因になります。
化学調味料も同じです。
精製されたアミノ酸が感覚マヒを起こす。
何度も書いてる様に、自分が10代から鬱や発達障害の"け"があったのはこれがおそらく大きい。
純粋主義が
気持ちを不安定にさせ、味覚障害を起こし、
精神を大人にせず、依存的にし、
頭を悪くした。
と考えると、
自身の問題と、日本人の問題とがリンクしてくるように思えるのです。
有機農業は精製をしない無粋な農業です。
だから日本ではウケが悪い。
オーガニックは潜在的に悪者になる。
でも自分にとっての一番敵を、「純粋」に設定してみる。
「純粋」が頭をパーにした、
「純粋」が心を弱くした、
「純粋」が身体を阿片中毒にした、
「純粋」が人生を路頭に迷わせた、
「純粋」が日本をダメにしてしまう…
だから今、
私は農業をしている。
敵はピュアにあり!(仮)
「自分がどうすればよいのかわからない!」
優柔不断に年中悩んでいます。
世の中は、そうしている内に大分前に進んでいて、
もう追い付くことができない。
時代に乗り遅れてしまったように感じる事があります。
人間には判断する人と認識する人がいて、
腸には善玉菌と悪玉菌という判断する菌と日和見菌という認識する菌がいます。
判断タイプは決断し行動します。
認識タイプは流れを見て、行動するか、その場に留まる。
もしかしたら私の腸は日和見優勢で代々、受け継がれて生きて来たのかもしれません。
認識タイプは人間の遺伝子と腸内細菌に、半分います。
これに関連して思い当たったのが、
「日本は神仏習合の文化の国」
です。
既成の文化が解体されないまま、
余所から文化を取り込んで、ミックスし、
独自性を持って発展してきたのが日本の文化だと言う人がいます。
あらゆる概念を有機的に受け入れ、
混合された要素から発酵し抽出されたエキス、
それが日本のアイデンティティーなのだ!と。
仏教伝来も、西洋文化も、自然災害も、
全部受け入れてからどうにかしてきた事が、
善くも悪くも日本人の"中"には伝統的に染み付いてる様に思うのです。
これから大不況時代が到来するかもしれないし、
苦しい時期を耐えなければならない。
私はおそらく時代の波に乗り遅れます。
でも、
波に飲み込まれても取り残されても、
状況を受け入れ構築していく様な、
しなやかな魂を己の遺伝子か腸の中に持っている、と、
生き遅れても、踏み潰されても、
乗り越える事ができる、と信じる。
いち早く波に乗り、流れの中で生き続けるのか、
その地に留まり、這いつくばって、新しい生を再構築していくのか、
どちらが良いなんて無いです。
今年を乗り越えて活きましょう。