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2020-02-17 23:49:00

 「神」といえば、反語は「遺伝子組換え」です。

 

もし科学信仰に意志があるのならば、到達点は遺伝子を解明して神を操る事にあっても異和ではありません。

 

日本は世界一の遺伝子組換え技術の特許を持っている科学信仰の国です。

 

 

今、なぜ遺伝子組換え作物が世界では反対されているのか?

 

一番直接的な原因としては、

実用された遺伝子組換え作物は

除草剤耐性の為に開発された作物が殆どであり、

その成分は人体には害がないとされていましたが、

植物と微生物の持つ管(シキミ酸経路という)を詰まらせ殺す成分なので、

摂取すると腸内細菌を殺し、腸にダメージを与え、障害や病気を引き起こす。

同時にそれは土壌細菌を殺し、環境にダメージを与える。

 

と言う話が広まった為の様です。

 

被害者が続出し、開発したモンサント社に対する訴訟やデモが世界中で起こった結果、遺伝子組換え作物とラウンドアップ(除草剤)は反発を受け、日本以外の大きな売り先が無くなってしまった。

そして日本だけが遺伝子組換え作物の大量輸入を受け入れた。

 

という話が伝わっています。

 

日本の食品メーカーには国から遺伝子組換え作物の使用を指導されているらしく、表示義務の無い分量、どの会社でも使われているのが現状です。

 

 

諸外国民の反対は安全への科学的根拠以上に

企業の体質への不信、宗教観、環境破壊への認識が強い様に感じます。

"安心安全"だけでは無いのがポイントです。

 

 

  

「神殺しとはいかなるモノなのか?」

 

科学信仰は必然的に神の領域を暴く事を目指す思想です。

でも勇み足なのでは?

先頭を歩いてるつもりが孤立になってるのでは…?

 

国が国民を危険にさらす様な事をする訳がない、

とは今も思います。

 

しかし、微生物が八百万神とすると、ラウンドアップ除草剤はまさに"神殺し"。

 日本はアメリカとモンサントの尻拭いをする羽目なり、

 これから神の呪いをモロに喰らう、という事になるのかもしれません。

 

ただの虚構かもしれません。

日本の自然は再生力があるので、わからないのが問題とかなんとか…

 

  

今後は「遺伝子組換えではない」の表示が消え、

遺伝子組換え作物が日本に大量にやって来る、

というシナリオになっております。。

 

視えないモノの"気"を注視しましょう。


2020-02-06 12:28:00
  • 私は科学の徒です。
    ”子”じゃ無くて徒長の”徒”です。

    子供の頃はサンタクロースや幽霊を信じる様なハッピーな子でした。
    が、思春期以降は形の無い概念を信じない唯物主義でした。
    参拝や葬式は宗教が行う詐欺行為だと思っていました。
    自分には物質で無い”モノ”にお金を支払う価値がわからなかったのです。
    社会に出てからの自分は発達障害や引きこもりという存在に近いのですが、それは何か、精神的な”モノ”の欠如と関係がある様に思います。


    農業は祭事と密接なつながりがあり、信仰を持っている人との関わりも多数あります。
    農業に従事した当初、そういう事との関わりに恐怖を抱く事もありましたが、多少価値観が変わってきた様に思います。

    数年前に池上彰さんがテレビでアメリカの特集をしていた時、「アメリカ人の8か9割は神様を信じる宗教国家だ」といった話をしていて、ショックを覚えた記憶があります。
    その時、ほんの一時だけ「己に足りないモノは信仰心か?」という考えが浮かんで、それは記憶に残っています。

    農業を始めて、少し物質的豊かさに対する憧れが減り、しかし同時に精神的貧困を感じ…
    そうなると、ほとんど今まで無関心だった神の存在が気になってきます。
    科学信仰によって神の存在を否定していたけれど、完全にいなくなったわけでは無いのです。


    豊作の時に言う「神様の恵み」は八百万の神様が有機物から無機物を生産して野菜を育ててくれた恩恵。
    八百万の神様は存在し、今も土を少しずつ豊かにしてくれている。
    でも現代の人口に対しては神様の恵みよりももっと圧倒的なエネルギーが必要になる。
    化学肥料の恩恵によって現代人の殆どは生かされている。
    神様の恩恵よりも科学の恩恵を享受する人の方が圧倒的に多い。
    だから人間は科学を信仰する、ですよね?

    大地の疲弊は100年前から心配されていて、再々自然派ブームが来ては、度々流行で終わる。
    「今回の気候変動こそはホンモノだ」
    かどうかは、やはり深刻になってみない限りわからないのですが、
    私自身は科学信仰の未来がどうであろうと、神様の創造する事が未来を生きる糧になり得るのではないか?と思うのです。

    八百万から始まり、神仏の概念は更新に更新を重ね、やがてキリストやブッダへと創られたのではないか?

    神様という概念はみんなが何世代にも渡ってミクロの存在をマクロの存在まで繋いできた”育てる概念”なのではないか?

    日本人の神様は急に創り変えたり、心中したり、輸入したり、無視してるウチに霧散霧消してしまったけれど、もしかしたらこれから必要になるのではないか?

    科学が日本を覆い、神は不要になって見えなくなってしまったけど、物質層を剥がしたら、どっこい生きてるのではないか?


    八百万神は昔も今も存在しています。
    これからは神様を創る時代がやってくる!?

    です。

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