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長野の冬は野菜の生長がストップしてしまいます。
野菜の育たない冬の間に”ボカシ”というものを作ります。
”ボカシ”は微生物の塊で、米ぬかと籾殻を混ぜた物に土着菌を培養させて作ります。
これを春、暖かくなった時に肥料や堆肥と同時に畑にまく事で更に畑中で菌を増やしていきます。
「畑全体を糠床にして、そこで野菜を育てている」様なイメージです。
だからそこで育った野菜は漬け物に近い半発酵食品ではないかと私は思っております。
農薬散布をしないという事は、食べる人の安全の為という側面もありますが、漬け物に農薬は普通掛けないし、畑に撒けば微生物が死ぬのでこの栽培法にとっては無意味な行為、という事になります。
土を育てる=畑を微生物で満たす事が健康な野菜を作ることに繋がり、また土壌の流出防止や生態系維持等の環境保全にも繋がると思います。
葉菜類と根菜類の栽培には通常、間引きをします。
小さい時にまわりの子を間引くと一人前の野菜が育ちます。
未熟な百姓(私)は全ての種を生かそうと欲張ってしまいますが、あまり生産的ではありません。
一人一人を磨くのには手間がかかりすぎました…
あげく、多くの株は一人前に育たず適期を過ぎてしまいます。
野菜の育て方にはいくつか方法があります。
・競争させて優秀な数株を伸ばして他は切り捨てるやり方「グローバル社会=栽培」
→一番スタンダードな栽培で、生産性が高いが浪費も多い。
・一人の空間を十分取ってのびのび育てる方法「ローカル社会=栽培」
→スペースが必要で雑草処理等の手間がかかります。
・空間を理想的な等間隔で配置して育てるのが「共産・社会=栽培」
→普通の野菜はお互いを助け合い競い合い生きているので、最初から独りだと育たず、なかなか上手くいきません。科学の力が必要です。
・一人前の基準を小さく、一億総中粒を目指す「鎖国社会=栽培」
→理想的ではありますが、他の社会=栽培の野菜に見劣りする為、他所では通じないと思われます。
人の社会と野菜の栽培法は同じです。
普段私たちが食べている五寸人参は西洋の文化から生まれた人参です。
東洋の人参は縦に長く、横に細いスリムな形状をしています。
京野菜の金時人参もその一つ。
甘味が強く、しまった食感で美味です。
今年初めての黄人参はおそらくハーフの為かそこそこの出来ですが、金時人参は3年目にして未だ商品として社会に出た人参は100本出たかどうか…。蒔いた種は毎年1000粒を超えます。
なかなか発芽しない上に湿気に弱く、折れやすく、根が股に割れやすく…
近代農業も西洋の技術から広まったものと思われます。
西洋的農業に対して未熟であり、東洋的農業に無知であり、大量生産と成果主義的資質の欠如であり…
人と野菜は文化的にも同じ影響を受けてこの世に存在しているのです。