インフォメーション

2021-04-25 09:29:00
新玉

これで10個分1.5キロあります。オニオンソテーも業務用もありますが、時間をかけてじっくり仕込んでいます。


2021-04-24 00:45:00

福井オリジナルのコロナ対策で飲食店にマスクを1000枚ずつくれるそうですが、はっきり言ってイランなと(笑)。みんなマスクをしてくるので、そんな事に税金を使うのはヤメて欲しいなと。去年のアベノマスクみたいにどこかに寄付するつもりですが、そのマスク自体一般の人に寄付を求めていて集めるらしく本末転倒です(笑)。大阪ではアルバイトが飲食店の見回り隊をしているらしいですが、うちに来たら逆に説教してしまいそうでイヤになります。店をオープンする際も業者の人に色々対策を教えてもらいましたが、見に来る人の当たり外れもあるから運みたいな所もあると。ドライブインと看板をあげていてもトイレが店内にしか無いとか、トイレを出たところにも手を洗う設備がいるとかうるさい人に当たるとコトだと。言われるまでは黙っておいて間違ってもここにこれが要りますよねとか聞いてはダメと、戦々恐々していましたが実際はお爺ちゃんと新入社員でした。うちみたいな小さい店に構っても仕方無いのか、業者のメーカーを聞かれてあそこなら間違いないしとで終わりです。後はフランス好きなお爺ちゃんだったので、ずっとフランスの話で終わったのを覚えています。マスク会食やプラボードなどうるさく言われそうですが、うちは密にならないやり方でやっている事も説明するつもりです。間違っても説教したりキレたりしないように、落ち着いて穏やかに話す予定です(笑)。


2021-04-23 10:40:00
今から

今日は遅がけのお客様なので、少し仕込みとメニューを考えながら待とうと思います。しかし良い天気で洗濯物が良く乾きますが、今年のゴールデンウイークは雨でステイホームになればなと思います。福井も敦賀の学校や医大の患者などコロナが身近になっていますが、どうにか落ち着きを取り戻して欲しいと思います。


2021-04-22 00:41:00

自分は色んなホテルやレストランに勤めた後、しばらく給食のような仕事もしたことがあります。拘束時間が短く時給に換算すれば、手取りの金額は変わらずとも効率は倍以上です。その後バイトに行ったり趣味の時間に使えたので、このまま店をやらなくても幸せかと思ったこともあります。それでも43歳と少し遅めの独立をしたのは単純に自分が店をやりたかったからで、夢とか大げさな事では無くこのまま人生が終わるのも面白くないなと。店をやってみてそれこそ時給に換算するのも嫌になるほどの効率ですが、時間の自由がきくので自分には向いている生活スタイルだと後悔もありません。生活や家族のためにシェフを諦め効率に走る人もたくさんいて、そこの水に合えば最高に幸せでしょうが店をやりたい気持ちが捨てきれない人からよく相談されます。自分みたいに50代なら移動する歳でも無いので定年までと割り切れますが、35歳から40歳くらいの転職して仕事も覚えた頃にふと我に返ることがあるようです。このまま定年までいるか体力のあるうちにもう一度戻るかと、悩みやすいお年頃なのも自分が通って来た道だからイタいほど分かります。相談を受けても独身ならまだしも、嫁や子供がいる場合うかつに変なことを吹き込む訳にもいきません。責任も取れないし取りたくも無いので気をつけて発言するようにしていますが、自分の体験は話して後は本人に判断してもらうようにしています。独立に向いているかどうかを知りたいと聞かれたこともありますが、それは誰にも分からないし自分の頭で考えてくれと思う事もあります(笑)。自分は相談者に友人と飲みに行ってつぶれて介抱されるタイプか、逆に介抱するタイプか聞くようにしています。飲みつぶれて介抱されるほうが独立には向いていると、個人の見解ですが自分の経験上店を立ち上げるにはそれ位肝が据わっていい加減で無いと無理だと。介抱するタイプは真面目で自分は飲みつぶれる事も無いので、店が上手くいっているうちは良いですが、ひとたび傾き出すと考えすぎて体を壊したり鬱になったり・・。あくまで自分だけの意見だとは思いますが、あまり神経質過ぎてもどうにもならない理不尽な事もたくさんあります。何もかもコロナのせいにして笑っていれれる位で無いと、壁にぶつかる度に悩んでいては神経が持ちません。店をオープンする事自体は誰にでも出来ますが、その後に何があっても継続する気持ちの強さと、反面ケ・セラ・セラみたいな部分とのバランスが大事だと考えています。自分の知り合いで店をやっている知り合いは人間的にはいい加減でどこか抜けた所がある輩ばかりですが(笑)、仕事に関しては真面目で胆力のある人ばかりです。今はコロナもあり居酒屋さんがランチタイムだけ厨房を時間貸ししたり、駅前のシャッター商店街が週末限定でテナント募集したり時代も変わって来ています。副業も昔よりうるさく無いので、まずは会社に席を置いたままチャレンジすればとアドバイスしています。やってみて気が済んだらそれも良し、行けると思えば行くも良し、迷わす行けよ行けばわかるさです(笑)。


2021-04-21 00:57:00

今週から学校でも給食が始まり、献立を見ながら自分の頃を思い出していました。自分が今53歳なのであの頃給食を作ってくれていた人は、今少なく見ても80歳以上の人だと思います。当然和食がメインでご飯の消費量も比較にならない時代でしたが、何故か給食になると主食は冷たいパンでおかずのみ和食です。ヒジキ煮や肉じゃがをおかずにパンが合わないのは子供でも分かりそうですが、自分の周りでは残さず食べるのが美学のようで不思議で仕方無かったのを覚えています。6年生の2学期(1980年)から月に一度の米飯が始まり、卒業の頃には月に二度になって少しは改善されたようです。嫁に話すと流石に京都とは違い米所の福井は米飯が多くて、アルマイト食器を使っていた京都の飯と水の不味さに驚いたようです。給食のおじさんおばさんが一生懸命作ってくれたから残さず食べましょうと先生が言っていましたが、一生懸命作ろうがどうしようが結果が不味ければ食べ残す自由はあるはずです。全部食べないから体が大きくならないと、背丈が一番小いので良く説教されましたが、不味いから食べたくないとの一点張り(笑)。それでも食べられないと体の大きい子が量的に足りないのか、自分の分の不味い牛乳と不味いパンを食べてくれていました。和食のおかずは流石に美味しいので食べていましたが、たまに出てくるカレーやシチューの時は・・・。小さい頃からレストランスターで本物の洋食を食べていたので、知らない方が幸せだと自分の分の給食を食べている友達を見ながら考えさせらました。人に作って貰っておいてその言いぐさは無いだろうと自分でも思いますが、自分で美味しいものを作れるようになりたいと思ったのも調理師になった理由のひとつです。今から考えれば給食がパンから米飯に変わる時には、現場でかなりの反発があったのかと想像します。パンなら袋に入っているので業者から来たものをそのままノータッチで、異物混入や破損など全て責任を負わずに済みます。米飯なら昔は無洗米も無いでしょうし、洗米機すらあったかどうかあやしいものです。炊飯器もタイマーも無いガス使用でしょうし、スイッチを入れ忘れたら始末書ものです。それをおひつに入れ替え洗い物も大変で、京都みたいに人が多いとアルマイトもそうですが、何か変えようとすると業者とのしがらみや前例が無いなど色々大変だったろうと大人になってから分かる事も多いです。今の子供の給食献立を見ると大戸屋や高木食堂顔負けで、アレルギー対応などある分かなりレベルの高いメニューになっていました。クジラカツや三色ゼリーなど懐かしく思う事もありますが、昭和の給食が味より栄養優先だったのも戦後からまだそれ程時間が経っていなかった事もあると思います。味より栄養ありきだから誰が考えてもおかしな食べ合わせになったのかと理解出来ますが、栄養士の力の無さと調理師の怠慢に付き合わなかった小学生の自分・・。大人から見れば何も考えずに美味しく残さず食べる子が可愛いのは分かりますが、不味いものが嫌いなのは今も昔も変わっていないなと自分でも思います(笑)。


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