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2019-07-29 09:08:00

訪問をありがとうございます。

 

月曜日が始まったなぁ~、という感じの気分ですが、皆さまはいかがお過ごしですか?

 

今日はお昼から信濃町の行事(?)に参加予定です。

 

3時間みっちり、ワークショップを楽しみたいと思います☆

 

 

 

 

さて、先日れいわ新撰組の重度障がいのある議員さんが、制度の壁にぶつかり『8月1日までに結果をもらえない場合は、私たちは登院することができません』というコメントを出しました。

 

制度の壁というのは、障がい福祉制度で『重度訪問介護』のサービスについて、通勤・就労時はサービスを受けることができないというものです。

 

これは、今までも課題として挙がっていたことでしたが、制度を見直されることはありませんでした。

 

今回、障がい者と呼ばれる方々の当選に伴い、ある意味、どこまでバリアフリーを進められるか、期待が高まっていると感じています。

 

 

 

 

で、ですね、このコメントに対してですが、私は2つの意味でちょっと残念に感じています。

 

現段階での個人的見解なので、今後、更なる情報で意見が変わる可能性はありますが、その理由を書かせていただきたいと思います。

 

また、今回のコメントはお二人を批判する気は全くなく、当事者として社会の改善に向けての行動自体は大変意義があると感じています。

 

まぁ、コメントも取材の切り取りであったため、編集したテレビ局の公平性をどこまで信じるかは…です。

 

 

 

 

今回の参院選では、現行制度に不合理がありそれを当事者の立場から発信していく、ということで当選をされた方々です。

 

また、現に重度訪問介護を必要としており、今後、議員活動を行う際にも彼らは介助者を必要とするでしょう。

 

ここで、一つ目の残念だと感じた部分は、記者会見で出したコメント、『私たちは制度を変えてもらわないと登院することができません』という言葉についてです。

 

確かに現行制度では、就労に対しての障がい福祉制度内の『重度訪問介護』は利用できません。

 

それは、制度側の言い分としては、『所得を得ているからそれに伴う支援は自費で行ってくださいね』ということでしょうが、一方で障がい者差別解消法第4条の『差別の禁止』を考えると、健常者ができていることを障がい者が行うための手段として活用する権利は、確保されることが大切だと感じており、制度の不合理だと、私は感じています。

 

障がい者基本法第4条(差別の禁止)※本文の字をそのまま引用

第四条 何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することとその他の権利権益を侵害する行為をしてはならない。

2 社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存じ、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによって前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がなされなければならない。

3 国は、第一項の規定に違反する行為の防止に関する啓発及び知識の普及を図るため、当該行為の防止を図るために必要な情報の収集、整理及び提供を行うこととする。

 

上記の法からも、QOLの観点からも、就労を理由に支援を必須とする人から取り上げる行為は、再検討を要すると私は感じています。

 

 

 

 

が!!!

 

今回私が違和感を感じたのは、『制度を変えてもらわないと登院できない』という言葉です。

 

どんなに不合理で検討の必要性のある事項であっても、『現行は就労と支援の両立』は認められていません。

 

しかしそれは『自費で重度訪問介護を活用することが認められていないわけではない』のです。

 

だから、彼女のコメントはある意味ミスリードの部分があると感じました(ここが一つ目の残念なところ)。

 

 

 

 

そして、もう一つの残念は、『〇〇してくれないと▲▲できません』というのは、『駆け引き的発言』にも見えてしまったのです(もちろんご本人は無意識だと思いますし、発言の受け取り方は人それぞれ違うので、私個人の感覚です)。

 

これは非常にもったいない発言だと思っています。

 

今回の当選は、当事者が議会で問題定義・発信することに意味があるということで当選を託されたのだと私は認識しています。

 

が、制度が変わるまで『登院できません』と言われてしまうと、正直、世論の反応としては(善し悪しは別として)『じゃあ、何で立候補したの?』『現行制度を理解して立候補したんじゃないの?』となってしまいかねません(現にそういう風潮が高まっていますし、私自身、そういう気持ちもあります)。

 

そうではなく、『私たちは常時支援を必要としており、就労時の制度利用を再検討することを提言したいと考えています。そのために、ボランティアが可能な方は手伝ってください』等、世論を巻き込む出し方をすれば良かったのになぁ~、と感じてしまいました。

 

そこを大変残念に感じています。

 

また、今回の件を『特例でやれば良い』という意見もありましたが、それはそれで『じゃあ現に不合理を感じている人はどうなるの?』『なに?地位が上がったり、声が大きいと制度も柔軟に変えてもらえるの?』という悩ましさが生じます。

 

正当な主張だからこそ、上手に主張しないと深い議論をしないこの国では、障がい者の間違ったイメージを植えつけて欲しくないなぁ・・・と思ってしまいました。

 

『正論が正解ではない』なんです。

 

 

 

 

制度を変えるって、本当に時間がかかります。

 

そして、障がい者・健常者など意識の壁を低くしていくことは、とてもとても時間がかかると思っています。

 

だからこそ、矢面に立って活動をされるお二人は本当に大変だと思いますが、ご自身の活動如何が今後のバリアフリーを広げるものとして、上手に社会を巻き込みながら活動をしていただきたいと思います。


2019-07-28 06:54:00

訪問をありがとうございます。

 

前回このサイトを更新してからもデ〇ーズで気が狂うジレンマを抱きつつ資料作成をして、4時過ぎになんとか終えることができました!

 

頑張った、私☆

 

そんなわけで、中途半端に寝ると気がついたら夜になっていた・・・をなくすため、そのまま起きている私です。

 

 

 

 

さて、今日は時事ニュースからの話になりますが、かんぽ生命の保険を売る郵便局員が、契約者に対して保険をかける相手(被保険者)を短期間で変えさせる手口で、訪問実績稼ぎをしたとみられることが分かった事件についてです。

 

これ、いくつもの重大な問題があるのですが、昨日久々にテレビを観ていても取り上げられることがなく、あれぇ???と疑問に感じました(テレビ局の忖度だとは思いたくないけど、明らかに違和感があります)。

 

そんなわけで、今日は、『大組織で取り組まれる悪事は、当事者意識を持ちにくい』について、書かせていただきます。

 

 

 

 

アメリカの社会心理学者に、スタンレー・ミルグラムという人がいました。

 

この人は「アイヒマン実験」でも知られる人なのですが、彼は「人が集団で何かをやるときには、個人の良心は働きにくくなる」という仮説を立て、実験をしました。

 

ちなみに、アイヒマン実験というのは、2人の被験者と白衣を着た実験担当者が参加します。

 

被験者2人にはクジを引いてもらい、どちらか1人が「先生」の役を、もう1人が生徒の役を務め、生徒側は単語の組み合わせを暗記しテストを受け、生徒役が間違える度に、先生役は罰として生徒役に電気ショックを与えるという実験です。

 

この電気ショック装置にはボタンが30個ついており、15ボルトをスタートに15ボルトずつ電圧を上げるように指示されています(最高は450ボルトです)。

 

実験が始めると、生徒役と先生役はインターフォンを通じてやりとりするのですが、生徒役が間違えると電流を上げる中、75ボルトを過ぎたあたりから生徒は様子が変わり、150ボルトに達すると、「もうダメだ、出してくれ!実験は辞める!助けてください!」と叫びを発します。270ボルトになると断末魔の叫びを発し始め、300ボルトに至っては「質問されても答えない!とにかく出してくれ!心臓がもうダメだ!!」と叫ぶだけで、質問に返答しなくなります。

 

この実験、白衣を着た実験担当者と生徒役はサクラなのですが、ミルグラムの実験では40人の被験者のうち、65%にあたる26人が、痛みで絶叫し最後には気絶してしまう(ように見える)生徒に、最後の450ボルトの電気ショックを与えました。

 

これだけ多くの人が、明らかに生命の危険が懸念されるレベルまで、実験を続けてしまったのです。

 

とはいえ、先生役の被験者が全く葛藤なく行ったわけではなく、途中途中で葛藤を示していたようですが、「何か問題が発生すれば、責任は全て大学側で取る」という言葉を聞くと、納得したように実験を継続したようです。

 

 

 

 

そこでミルは『「自らの意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて、決定的な影響を与えるのではないか』と仮説を立て、それを明らかにするために、更なる実験を行います。

 

そして、先生役を2人にし(そのうちの1人が被験者)、ボタンを押す係はサクラが担い、被験者には回答の正誤の判断と電圧の数字を読み上げるという役割を被験者に与える実験を行いました(生徒役はサクラ)。

 

今回は被験者の役割は『回答の正誤を判断し、与える電気ショックの電圧の数字を読み上げることだけ』となり、関与としては前回の実験よりも消極的になります。

 

また、2人体制で行うため、精神的負担も前回より軽くなっています。

 

結果、最高の450ボルトまで実験を継続した被験者は40人中37人・・・つまり93%となり、ミルの仮説は検証されたのです。

 

この実験は1960年代に行われたのですが、その後1980年代中頃まであらゆる国でも同様の実験を行った結果、ほとんどがミルグラムの実験結果以上の高い服従率を示したと言われています。

 

つまり、この『「自らの意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて、決定的な影響を与える』ということは、アメリカ固有の国民性ではなく、人間の普遍的な性質を反映しているということが実験により明らかになったのです。

 

 

 

 

とまぁ、長々と実験について書いてしまいましたが、何が言いたいかというと、『今回のかんぽ詐欺(私は詐欺だと認識しています)について、職員にとっては、自責の念はそれほど強くなかったのではないか?』ということなのです。

 

『会社(または上司)に指示されたから』と思うことで、その行為が詐欺であっても、『指示されて動いているだけの自分』は良心や自制心が働きにくくなっていたのではないかということです。

 

そして、今回は大きな犯罪に至りましたが、実は私たちも『介護保険』というルールに則って支援をしている中で、その内容について自分で一つひとつ確認しながら進めないと、もしかしたらかんぽ職員のうような状況になってしまう可能性がないとは言えないと思うのです。

 

それは犯罪といった大事ではないにしても、『制度(ルール)がこうだから仕方ない』という言葉を盾に、利用者やその家族が望む生活を諦めさせてしまうことがあるかもしれない。

 

なぁんてことを考えてしまい、改めて『できない理由よりできる方法を考え実践する』という当社の方針の大切さを実感した次第でした☆

 

※これを書いている中、気がついたら外は大雨です。皆さま、天候が不安定なので、本日は無理をせずにお過ごしくださいませ☆


2019-07-27 23:40:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は午後から資料つくりをしていました。

 

今までの介護保険の変化と、次期改定のポイントとその論点、そして、論点に対して今までどんな会議でどのように話し合われていたかを、パワーポイント資料で作成しようと思って取り組んだのですが・・・すでに挫折しそうな自分がいます。

 

いうか、さまざまな会議資料を読むだけで、頭が痛くなっています☆

 

あぁ、誰か私に読んでポイントを一発で理解できる知恵を授けてくれないかしら・・・。

 

 

 

 

と、そんなわけで、ブツブツ言いながら取り組んでいるのですが、その中で一番感じているのは『一体、国民はどこまで国に保障を求めているのだろう?』ということです。

 

介護保険って、医療保険の増大に歯止めを効かせるために創られた制度ですが、現在長期目線での議論は、『共生社会という形で全世代型社会保険にしようよ』という流れもあります。

 

つまり、障がいも子育ても全てひっくるめて『保障』から『保険』にしちゃおうというわけです。

 

また、医療費削減のために、介護保険を医療にとっての“次なる旨味商売”となるよう誘導している感も否めないというか、そして、一部の大手企業に優遇するような制度変革になっているというか・・・。

 

一部の職権や利益誘導の手段として、保険が使われるってどうなんだろう?

 

そんなモヤモヤを抱えつつ、一方では『一部の正義感の強い人の頑張りに依存するより、いっそ介護保険事業もビジネスとして割り切って考える制度になった方が良いのかなぁ・・・』とも感じています。

 

 

 

 

制度開始から今まで(平成30年度の改正まで)で、介護保険の報酬はマイナス4.23%です。

 

この数字を大きいと捉えるか、小さいと捉えるかは個々の判断によるでしょうが、一つ感じることは、制度創設時から事業をされていた方々も、そろそろ貯金が底をついてきたんじゃないかな・・・ということです。

 

また、今後の事業をどうするかは、次期改定に係っている部分が大きいんじゃないかな・・・と感じています。

 

そして、制度施行後に個々の正義で事業を始めた方々は、今、ギリギリのところで事業を運営されていると思います。

 

その方々は、もっとシビアに次期改定によって、事業の存続を考えているのではないかな・・・と感じています。

 

望む望まないに限らず、今の介護保険は『我慢比べ』をしている状況に見える・・・もとい、そうせざるを得ない状況なんだと、私は勝手に思っています。

 

 

 

 

明確な正解はないけれど、今後の社会保障の在り方、社会保険の在り方を、今一度、国民レベルの議論にした方が良いんじゃないあかなぁ~、なんて、資料つくりをしつつ感じている私でした。

 

そんなことを考えつつ、途中で寄った本屋で『14歳からの哲学』という本を見つけたので購入し、長男に渡したらお礼の後に言われた一言。

 

『・ ・ ・ 僕 、 も う 1 5 歳 な ん だ よ ね 』

 

長男の年齢をはっきりと把握していない親って・・・(反省です)。


2019-07-26 14:48:00

訪問をありがとうございます。

 

今週は何かと追われている私で、朝のサイト更新が叶わず、ランダムな時間で更新をしています。

 

そんな中、先ほど知人から『ねぇ・・・サイトの更新ないけど、体調崩した?』と連絡をいただきました。

 

はっと思い確認をすると、更新したつもりで、またしても下書きに昨日のサイトを入れていた私☆

 

慌てて更新に切り替えた次第です。

 

そして、私は元気です☆

 

 

 

 

さて、先日、『正義の教室』という本を読みました。

 

タイトルの通り、倫理に関する内容なのですが、高校生の男の子が主人公となっており、生徒会役員の子達と倫理の授業を通して『正義とは何か?』を学んでいく・・・という内容です。

 

あ、こんな書き方をすると、『なんて重苦しい本なんだ』と思われるかもしれませんが、作者は飲茶さんです(名前からしてちょっとふざけていると感じるのは私だけ?)。

 

スラスラと読みやすく、でも可能な限りわかりやすく倫理や価値観の違いについて書いてくれていますので、興味のある方は週末に本屋さんかAmazonに走ってくださいませ。

 

ちなみに、私は内容は100点でしたが、最後の最後のオチに納得がいかず、何だかちょっと不完全燃焼でした☆

 

 

 

 

本の中身をここで書くわけにはいかないのですが、本に出てきた『なるほど!』ということだけ、書かせていただきますね。

 

それは、『人間が持つ正義の判断基準は、平等・自由・宗教のどれかに当てはまる』という言葉です。

 

この部分について、ちょっと説明します。

 

平等の正義を実現するには、功利主義的考えとなり、これは最大幸福を重視して正義をジャッジするという考え方です。

 

そして、自由を正義を実現するには、自由主義的考えとなり、幸福かどうかは関係なく、自由かを重視して正義をジャッジするという考え方です。

 

最後の、宗教はいわゆる道徳のことですが、宗教の正義を実現するには、直観主義的考えとなり、道徳(あるべき論)を重視した考え方です。

 

 

 

 

で、ですね、私、この部分を読んだときに、思ったのです。

 

『あぁ、世の中でされている様々な議論って、まとまるわけがないよな』と。

 

だって、どっちの方向を向いているか?そもそもメンバーの価値観が、平等・自由・宗教のどれかを知らないままに議論を開始しても、みている景色が違うのに、話が噛み合うはずがないじゃないですか。

 

と同時に、日本人はとにかく『正解』を求めたがる民族だと思っています(そんなにたくさんの外国人を知っているわけではないですが・・・)。

 

これは、二項対立を生みやすく、『どっちが正しいか?』に議論が流れがちなわけですが、そもそも世の中のほとんどの物事に『絶対の正解』なんてないわけで。

 

様々な会議等で成される議論が、円滑に進まない理由というか、日本人が議論が苦手とする理由のひとつが分かった気がしました。

 

 

 

 

少し前に、誰かが話していたのですが、『議論をすることの良さは、知識を学び自分の考えを持ち、それを軸に他者の意見を聴いて、より自分の視野を広げることだ』みたいな言葉がありました。

 

だから、議論の中で『答えを出さなければならない』という思い込みから、まず離れることが大切だ、と。

 

本当に、その通りだと思います。

 

時代が変わり、今までの『直線をまっすぐ走れば良い時代』から『先が見えない混沌とした道を自らが選んで進んでいく時代』に切り替わった今、大切なことは、“誰かの選んだレールに乗っかって走ること”ではなく、“自らが物事を知り(知識を持ち)考えて走る”ことが求められます。

 

学ぶ時間をしっかりと持ち、色んな意見を聴きながら自分の意見を確立していく。

 

自分と違う意見があれば、その立場に立って改めて物事を考えることで、より自分の考えを高みに上げていく(多角的視点を持つ)。

 

ちょっと堅い言葉になりますが、私はそれが人間の進化だと思うし、今の時代は過去から比べて進化しているのだと、改めて感じました。

 

 

 

 

なぁんて考えていたのですが、考えがまとまってニヤニヤしていたら、目の前の低いガラス越しにいたおじさんと目が合ってドッキリ!

 

外で思考を深める時は、ニヤニヤしないように気をつけなければと反省した私でした☆


2019-07-25 09:12:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、とても楽しい一日でした。

 

午前中は地域の活動団体にメールを送ったり銀行に行ったりとしましたが、午後からは2件のモニタリング、その後、夜からは飯田橋で勉強会に参加(区民主体の勉強会)。

 

そして、そこで一緒に参加した区内のケアマネ仲間とサシ飲み☆

 

今後、どうやって地域ケアマネジャーに今後の流れを知ってもらい、どうやって組織の体系化を行うかを、発展的に話し合いました。

 

 

 

 

・・・というわけで、今日は、『ケアマネジャーが今後、社会に対してインパクトを与えるにはどうしたら良いか?』について、書かせていただきます。

 

今回も、全くもって私の独断と偏見ため、ご笑覧くださいませ☆

 

 

 

 

結論から書いてしまうと、『ケアマネジャーは今後の国の動向を理解し、逆算方式でいつまでに何をするかを明確にし、地域で客観的データを基に言語力を持って、ロジカルに介護の現状を行政に挙げていくこと』が求められると思っています(長っ!)。

 

しつこく書きますが、今、ケアマネジャーがまとまるのは『地域の』ケアマネジャー同士なんです。

 

自分達の主義主張の同じ人ではないんです。

 

そして、行政や国を動かすには、署名やデモではありません(パフォーマンス的に行うのは良いかもしれませんが・・・)。

 

客観的データを根拠とした提言なのです。

 

こんな書き方をすると嫌がる方も多いのですが、感情論でいくら現状を訴えても、システムの中で動いている人間には響かないのです。

 

当区の主任ケアマネ立ち上げの際も行いましたが、行政が欲しいのは『根拠ある理論』であり、それはアンケート等をとって客観的数字を基に、ケアマネジャーが自らの知識を持って分析(遡上されている審議会議論を把握して現状との差異を分析する)し、提言することです。

 

この客観的データの取得・・・都道府県レベルで行うことは困難で、地方分権型システムの介護保険は、保険者単位で取り組むことがベストだと思っています。

 

そして、それを集約し課題を整理して、『(データから)何の支援が必要で、自分たちはそのためにこうします。だから、保険者はこの部分で一緒に協力してください』という形で、提言をしていかないと、国や行政は動いてはくれません。

 

だから、地域のケアマネジャーがまとまり、ひとつになることが大切だと私は考えています。

 

 

 

 

この『地域のケアマネジャーがまとまる』ことは、別の視点で考えても本当に必要なことです。

 

行政は、一人ひとりの声に反応することは困難です。

 

だからこそ、地域のケアマネジャーが勉強会を開催する等して、時期改正に向けて、現在挙がっている議論の焦点を共有し、そこから起こりうる弊害を予測し、それに対しての根拠となるデータを集め、議論の焦点と客観的データを基に、様々な角度から議論を重ね、提言内容を固めていくことが、とてもとても大切なのです。

 

時期改正は、今後の介護保険・・・もとい、障がい・子育て等にも大きな影響を与えることになると、私は感じています。

 

システムで動いている日本で、現状とシステムに差異がある時、そこに対して声を挙げていくことが、ケアマネジャーの大きな役割のひとつだと感じており、それができた時に、始めて社会にインパクトを与えるとともに、ケアマネジャーという存在が、社会に認められると、私は思うのです(その後に報酬の提言ができる)。

 

それと同時に、次期改定から実施予定の「主任ケアマネ管理者要件」が絡んでくるのです。

 

これはケアマネジャーの進化を求められていると私は認識しているのですが、要は「個別ケースにのみ対応するのではなく、地域マネジメントの視点も持ちながら、制度を正しく運用しなさいよ」ということなのです(主任ケアマネを置けば良いというわけではない)。

 

これが実践された時、主任ケアマネであり管理者である人は、制度と現実と会社の要求に悩む人が増えると、私は予測しています。

 

なぜなら、この3つは、見ている方向と向かってほしい未来が乖離しているからです。

 

それをどうにかするためには、せめて、制度と現実の差異を減らし、会社には制度の説明ができないと苦しさは拭えず、これを個々の主任ケアマネで乗り切ることはできないと感じています。

 

だから、地域の主任ケアマネジャーがまとまることが大切なのです。

 

 

 

 

非常に残念ですが、今のケアマネジャーは介護保険システムのイチ歯車に成り下がっています。

 

参院選が終わり、これから本格議論が始まるからこそ堅い内容となりますが、今、地域がまとまり行動を起こさなければ、介護保険はトップダウン式で従来通りの『ルールに人を当てはめる制度』になってしまいます。

 

そして、なぜ今私がそのことに危機感を抱いているかというと、次期改定・・・そして次々期改正では、本当に支援を必要とする人が支援を受けることができず、かといって地域の受け皿もない中に、放り出されてしまう社会になると感じているからです。

 

ここで、『私はこう思う!』ということを、声高に発するつもりはありません。

 

が、少なくとも、時期改定の論点ポイントを各自が把握し、現状と摺り合わせ、予測できるリスクや可能性を検討し、必要な策を提言していくことが、とてもとても大切だと感じています。

 

 

 

 

なんてウダウダ書いていたら、昨夜研修を一緒に受講し、主任ケアマネ協議会発起人でもご一緒させていただいた大御所Hさんから電話とメールをいただきました。

 

『ねぇ、加藤さん。昨夜の研修みたいに、今の現状や現在されている議論について、主任の仲間に知ってもらうことって大切だと思わない?こういうことを講義してもらえたら良いわよねぇ~。そこから“現状はこうで、当区ではこうしていこう”と言うのをみんなで考えたら良いわよねぇ~』(この方は恐ろしく半口ですが、こんな感じでおっとりとした口調で話をされるのです)

 

いやぁ、同じ考えを持っている人がいるというのは、本当に心強いです。

 

そして、先生とのパイプはHさんが持っているので、後はお金の問題だな・・・と思いながら、皮算用してしまう私でした☆