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訪問をありがとうございます。
この連休中は、夜を中心に溜まった資料作成を行い(本当に溜まり過ぎて何から手をつけようか困る!!!)、日中家にいる間は、マンガを大人読みしようと目論んでいる私です。
そんなわけで、連休初日に『キングダム』という50巻以上あるマンガを大人借りして読み漁っているのですが(しかもこれを読むのは3回目で、何度読んでも人の名前を覚えられない!)、今は命が取られることのない良い時代だなぁ~、と思っています。
皆さんはどんな毎日を過ごしているでしょうか?
さて、少し前になりますが、今月19日に経団連(日本経済団体連合会)の中西会長が、こんな言葉を表明しました。
『正直言って、経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っているんです。どうやって、そういう社会のシステムを創り変えていくか。そういうことだという風に(大学側と)お互いに理解が進んでいる』(Yahoo!ニュースより)。
この言葉は、ある意味労働者にとっては権利でもあった“雇用の権利”を覆すルールができるかもしれないということを示唆していると私は捉えています。
そして、そのことはコインの表と裏で考えた時に、ある意味やりたいことのある人にとっては、チャンスの方が大きいのではないかと考えているのは私だけでしょうか?
というわけで、今日は『これからの企業はどうなっていくか?』を勝手に予測してみたいと思います。
多分ですが、現在の日本の状況を考えると、今後の企業は3つに分かれると考えています。
1つは、テクノロジーの進化でも補えず、人を雇用し続ける企業。
もう1つは、上手に他企業やフリーランスされた方々と都度提携を結び、事業を成し遂げていく企業。
そして最後は、今まで人の行っていたことを機会に代替していく企業。
この3つに分かれると考えた時に、自分の勤めている企業が、このどちらに入るかを考えることが大切だと思っています。
これは、企業がこれからも生き残っていくために、最小限の経費で最大限の利益を上げていくために選ばざるを得ない選択であり、これをしないと、今後の企業が生き残っていくことが困難だと私は考えています。
そして、この流れが実施された時に、私たちはどういう働き方をする事が求められているかを考えたら、『好きなことを極めていく人が生き残れる時代に突入した』と、私は考えています。
つまり、『会社にやれと言われて受け身で作業をする人は淘汰されるだろうし、自分の役割に意味を見出し主体的に仕事に取り組める人は重宝される』というか。
お金のために働いている人は、淘汰される可能性が高いと言い換えてもいいかもしれません。
全産業を知っているわけではないので何とも言えませんが、私の知る限り、『言われたことだけやっている人』は会社にとって負担な存在になっている傾向は強まっています。
それは、大企業が続々と45歳以上の社員に早期退職を促している傾向からも見えてきます。
『会社に雇用されたから安泰』ではなく、『会社に価値を提供される人が安泰』に変わってきているというか。
そして、会社に価値を提供できる人は『主体的に仕事を自分のミッションとして捉えることのできる人』なんですよね。
実際、先に挙げた2番目の上手に他企業やフリーランスされた方々と都度提携を結び、事業を成し遂げていく企業は増えてきていると、中小企業をみていても感じています。
これは、とても良い流れだと個人的には感じています。
じゃあ、これから社会に出ていく若者がどんな基準で就労先を選定することが良いかというと、私が考えるのはこんな感じです。
1)まず最初は自分が希望する産業でがむしゃらに働く。
2)その中で一つひとつ信頼を築いていき、ある程度の実績をつくったところで、再度自分の今後を考える。
3)自分に合った場所で自分に合った働き方を実践する(転職する・フリーランス化する・今の会社に残るかを選択する)。
これらすべてに言えることは、『漫然と仕事をするんじゃなくて、自分のライフスタイルを意識しながら働く』ということです。
そしてこれは、若い人だけでなく、私たち自身についてもいえると思っています(既に就労している人は2)と3)ですね)。
これって一見厳しいように見えますが、見方を変えると『自分が活躍できる場所で働くチャンス』にもなります。
格差が広まることを危惧する方がおられるかもしれませんが、これからは社会保障のあり方も大きく変わるだろうし、本当の意味で『自分の好きなことに熱中できる社会』が実現するかもしれません。
そして、その第一弾である今年4月から実施される『一定数の残業禁止と有給取得義務化』を使って、多くのサラリーマンがどのように時間を使うのかを興味津々で見ている私です(どうか、自分の時間をゲームなどに費やさないでほしいと思いつつ・・・)☆
皆さんは、これからの社会がどのように変わると思いますか?
訪問をありがとうございます。
連休中、夫は通常業務なため、私は家で過ごさなくてはいけないのですが、この連休中には、朝から地域冊子のサイト『テトテ』をFacebookに連動する作業を行う予定です。
家で作業すると子ども達にうっとおしがられるので、今は駅の喫茶店にいます(夫がいる時は気軽に家を空けられるのでありがたいです)。
今日中に、たまったペンディングメールの整理をしたいと考えています。
さて、今月も残り2日になりました。
ということは、平成の時代も後2日というわけで、5月からは令和時代に入ります。
西暦が良いか元号が良いかということは、それぞれ意見があるでしょうが、私は時代を捉える意味で元号はあった方が良いと考えています。
平成はとにかく変化の時代だったと感じています。
バブル崩壊が来て雇用形態(終身雇用含)が崩壊し、インターネットの普及で人々がいつでもどこでもつながるようになって、介護保険が始まって地域が分断されて、何というか、『昭和まで築き上げてきたコミュニティが、いったんバラバラになった時代』と私は捉えています。
で、令和ですね。
色んな方が色んな想いを抱いているでしょうが、平成の終わりに様々な課題が挙がっています。
これらをいくつかのカテゴリに分けると、『テクノロジーの進化』『社会保障のあり方』『教育の在り方』『地域の在り方』に分けられると、私は考えています。
様々な進化に伴い便利になった反面、社会の中で『お互いさま』が薄れました。
社会保障で何でも解決する反面、社会は国(制度)に依存してしまうようになりました。
教育体制は、時代の変化に追いついておらず、画一的な教育に変化が求められています。
地域については、中央集権で無理が出ている今、数年前から自治体単位での運営にシフトチェンジしています。
こういう状況の中で、令和の時代は様々な方々(主に評論家)が持論を展開するでしょう。
で、ですね、私は元号を一つの節目として考えた時、次の時代は『行動・実践』だと思うのです。
自分が、“これがやりたいのだ!”と思うことを自ら率先して行動していく。
その中で仲間を見つけて、一緒に活動を行っていく。
その輪の広がりが、新しい社会を創っていくことになると思っています。
いわゆる『世間の常識』や『当たり前』というものは、時代の変化とともに変わります。
次の時代には、どんな常識や当たり前が来るのか?
それを想像しながら、1人でも多くの方が、『自分がやりたいこと』『自分ができること』『社会が求めていること』の3つに当てはまる行動をするかで、今後の日本は変わっていくと、私は考えています。
私自身は、この超高齢社会をマンパワーで乗り切ることが、世界(特に先進国)に対して日本が誇れることになると考えています。
そして、その乗り切るための第一歩は、地域で地域づくりの成功事例を創ることだと思っており、それを江東区で実現すると決めています。
皆さんは、どんなことを考え、どんな行動を起こしていきますか?
訪問をありがとうございます。
今日は一日ベッドとお友達だった私です。
さて、明日も夫が仕事休みとのことで、皆でどこかに行こうと提案したのですが・・・
夫)子ども達が行きたいところがあるならいいよ。
長男)めんどくさ。
長女)え~、どこ行っても混んでるだろうしめんどう・・・。
次男)ポケモンセンターで、何か買ってくれるなら行く。
・・・はい、こんなものですよね。
10連休と言っても、そのまま休みが取れるわけではなく、何の計画も立てていなかった私が悪いのですが、それにしても出不精なことこの上ない子ども達は誰に似たのでしょう?
そんなことを考えながら、じゃあ明日は仕事をしてしまおうと思った私です。
皆さんは、連休初日、楽しく過ごせましたか?
訪問をありがとございます。
今朝は途中までサイトを書きかけた後、下書きしたつもりで登録していました。
目を通した方がいたら、中途半端な内容で終わっていてすみません(モーニングを食べていたら、サイト更新していた事をすっかり忘れてしまった)。
ところで、連休は皆さん順調に取得できているのでしょうか?
私は連休中は3日のみ出勤し、後は子ども達と戯れつつ、合間にいろんな書類を夜な夜なデ〇ーズで作成する予定です☆
さて、今日は何を書こうか迷ったのですが、本日訪問した先での話を書かせていただきます。
話の中で、『子どもの相談にどう乗る?』という話になりました。
その時に、ご家族が『うちのカミさんが言ってたんだけど、子どもが何か話したら、最後の言葉を繰り返すだけで十分みたいですよ』と教えてくれました。
それがとても腑に落ちて、『あぁ、ある意味面談技術と一緒なのかも』と思った私です。
そして、ご利用者(女性)は、『あ~、その話、私は何十年前に知っていたかった!』と悔しがっていました。
いえいえ、数十年前に知っていなくても、これだけ素敵な息子さんを育て上げたのですから、素晴らしいです!
というわけで、繰り返しについての話を転記しますね。
子どもが『〇〇で嫌だったんだよ』と言ったら、『嫌だったんだね』と返す。
子どもが『△△で悔しかったんだよ』と言ったら、『悔しかったんだね』と返す。
こんな感じですが、相手の言葉に過剰に反応したり意見するのはなく、相手の言葉を返すことで話を促すというか、ある意味、子どもの鏡になるというか。
それにより、子ども自身は自分の言葉(特に感情部分)を改めて聞くことにより、さらに思考を発展させるのですよね。
確かに、これは面談技術でもあります。
プライベートはグズグズな私は、『あ、思春期の息子には、面談だと思って接すれば良いのかも』ということに気づきました。
他は、ご家族の仕事からの気づきや、ご本人の想いで話等を聞き、ご本人・ご家族の価値観を知りつつたくさんの気づきをいただきました。
ケアマネジャーは良い仕事だし、その仕事につけている私はありがたいなぁと思います。
そんなこんなで、明日から連休に入りますが、不定期になる可能性があります。
が!できるだけ毎日更新できるように頑張ります。
皆さんもステキな連休をお過ごしくださいね☆
訪問をありがとうございます。
今日は朝からWAMの報告書を作成していたため、更新が遅れました。
今日、2つの出来事があり、私は非常に不合理さを感じています。
詳細を書くことはできませんが、今の社会は『ルールに人を合わせる』ことが、当たり前化しています。
そもそもルールとは、『集団が気持ちよく過ごすための約束事』であり、あくまでも軸は『人』です。
だから、当然時代や人の価値観が変わればルールもそれに合わせていくことが大切です。
が、ここ数年は『ルールですから』という言葉をよく聞くようになりました。
これは、非常に残念な傾向だと私は感じています。
人が気持ちよく過ごすための手段に振り回されるなんて、本当に本末転倒というか。
そして、ルールという大義名分で思考が停止してしまうことは、とてもとても残念だと感じています。
特にこの『ルールだから(仕方ないよね)』は、福祉の業界では絶対にやってはいけないことだと思うのです。
他の制度は分かりませんが、少なくとも介護保険においては、地域性・個別性を尊重するため、地方分権化した制度となっています。
細やかな保障を確保するために地方分権化されており、だからこそ、自治体は現場の声を聞きながら細かい判断を整備していくことが大切なわけで、決して『国のルールに乗っかっていたらOK』ではないのです。
専門職は、ルールにご利用者を照らし合わせるのではなく、きちんとルールと現場と乖離を自治体に挙げていくことが大切なのです。
この両者が共に話し合いながら、自治体独自の判断をブラッシュアップすることが、とてもとても大切で、必要な事だと私は考えています。
そして、専門職に求められる役割は、そういうことだろうと私は考えています。
国の税金を活用して行っている事業だからこそ公正・中立は必要で、ルールを何でも批判するつもりはありません。
ただ、現状ルールに思考することなくそこに人を当てはめるのではなく、『どういう形にすることが、一番利用者にとって有益になるか?』の視点で物事を考える必要があるのではないでしょうか?
『制度だから、ルールだから仕方がないよね』で終わらせるのではなく、『じゃあどうしよう』の思考を持ち、ルールに原因があるのか、代替支援があるのか等々、考える事が専門職には求められていると感じました。