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2018-08-31 07:23:00

訪問をありがとうございます。

 

今月もいよいよ最終日となりました。

 

この日は私にとって大切な日であり、冊子の最終締め切り日です。

 

現在の集まり状況は4分の3強。

 

大丈夫でしょう、うん、大丈夫に違いない☆

 

 

 

 

さて、今日は『組織』というものについて書いてみたいと思います。

 

当社が目指している組織は「ゴレンジャー」のような組織です。

 

開業当初は入社した職員がケアマネ未経験であったため私が意思決定を行う部分は多かったのですが、一昨年からそれを変えました。

 

どうせ仕事をするなら、できるだけストレスフリーでいたい。

 

どうしても自分がやらなければならないストレスを伴う作業は別として、それ以外のことは個々の特技を伸ばす形で担当してもらっています。

 

全ての人に役割があり、人間性の尊重・尊敬はしますが、その関係性は対等です。

 

 

 

 

このゴレンジャーの考え方は、「得手を伸ばすことで仕事に対する余計なストレスを軽減する」「自分の得手で他人の不得手をカバーすることでお互いの存在意義を持ってもらう」という想いがあります。

 

メリットとしては「自分の強みを知り自己承認できる」「職員同士が良好な(お互いを認め合える)関係性が築ける」というメリットがあります。

 

全ての人は、何かしらの強みを持っていますよね。

 

その強みを活かし、みなで役割分担を決めながら業務を行うのです。

 

パソコンに強い人は書式づくりを担ってもらう、教育が得意な人は教育係を担ってもらう、etc。

 

 

 

 

業務の役割分担を決める際は、全て「〇〇の強みを持ったあなたに、△△の業務をお願いしたい」と伝えます。

 

この方法に切り替えてから、私自身もより職員の強みを意識するようになりましたし、職員同士もお互いの長所を見るようになりました(とはいえ、決して馴れ合いにはなりません)。

 

この考えが定着すると、何かを決める際には全員が役割の部分で、それぞれが“この人が良いんじゃないかな?”と言う人を注目します。

 

そこで、本人から「私がやればいいんですね。わかりました」と言ってもらいます(コミットしてもらう)。

 

 

 

 

会社の置かれている組織メンバーによりますが、この組織は最強です。

 

各人が自分の長所を知って、組織の中で必要とされていることを実感できるので役割意識を持てる上、他者に対しても自分の不得手をスラスラできるため、敬意を持つことができます。

 

また、自分の不得手もそれが得意な人に教えてもらうことで、スキルの向上を図ることができます。

 

そして、社内で誰も持っていないスキルがあれば、次の職員採用条件にしています。

 

ちなみに、前回の採用条件は「当社の新人マニュアルを作成したいから新人ケアマネを採用しよう」であり、今の採用条件は「新人ケアマネの作成してくれたマニュアルを実験・検証したいから、もう一人新人を採用しよう」です(教育の得意な職員は「私はまた教育を担当すればいいんですね」と自ら言ってくれています)。

 

 

 

 

こんな感じで、リーダーが皆を敢えて引っ張っていかないことで、強みを引き出すことはできると私は考えています。

 

私の考える仕事の仕方は、会社の名前にもある通り「エンパワメント」です。

 

そのため、喜びも辛さも楽しさも苦しさも共有し合い、みなが前向きな姿勢で仕事を行える環境をつくることが、私の役割だと考えています。

 

・・・とそんなことを職員の一人に話したら、ニヤリと笑って「加藤さんらしいですねー」と言われました。

 

 

 

 

皆さんの職場はどんな雰囲気ですか?

 

ご自身の力を十分に発揮できる環境にあると思いますか?


2018-08-30 07:18:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、中小企業家同友会の方々が来社してくださいました。

 

10月に発表をするため、第1回の打ち合わせを行い、ヒアリングを通して内省することができました。

 

ありがたいことです。

 

 

 

 

さて。

 

今日は、先日の続きで、『現在活動している団体の多くは70代半ばから後半が大半で団体の継続性が担保できていない』ことについて書かせていただきます。

 

現在、活動を担っていただいている方々の多くは、70代半ばから後半の方々が大半です。

 

70歳で“若手”と呼ばれている業界(?)ですが、これは由々しき課題があると私は感じています。

 

それは、『助け合い・ボランティアを続けたくても、継承できる人がいなくて会自体が潰れている』という現象が起きているからです。

 

これは、区の管理しているサイトに冊子掲載の協力依頼を行った時に実感しました。

 

『協力したいけど、(既に)会員不足で解散したんです・・・・』

 

この言葉を何度聞いたことか。

 

 

 

 

地域で自主的な助け合い活動が無くなった場合、どのような支援が待っているかというと、介護保険をベースとした料金体制の『サービス』です。

 

豊島区は先進的に『混合介護』という、介護保険と自費サービスの抱き合わせをパッケージ化して提供していますが、この料金、電球の交換や同居人の家事を含めて、1時間2,500円~3,600円します。

 

3年後に介護利用料が2割負担となり、さらに保険でカバーできない部分を払うことのできる方が、果たしてどのくらいおられるのでしょうか?

 

これ、地域の助け合いに頼めば、1時間数百円で行うことができるのです。

 

そういう意味でも、地域の助け合いの輪の確保は、とても大切だと私は感じています。

 

そして、一人でも多くの住民が、自分の無理のない範囲・楽しんでできる範囲で地域と関わっていくことが、とてもとても大切だと思うのです。

 

 

 

 

世の中が不安定で、やれ長寿だ、やれ保障は削減されているとなると、余裕を持った毎日の生活を送ることは難しいと感じている人が多いのかもしれません。

 

そして、その不安が他者への気配りとか思いやりを削っているのであれば、それは負のスパイラルでしかないな、と、私は思うのです。

 

そうではなくて、『社会保障が減るのか。平均寿命が延びるのか。じゃあ、元気なうちに地域と関わって、自分が手助けが必要になった時に、助けてもらえる関係性をつくろう』という思考になってほしいなぁ、と思うのです。

 

そして、地域活動を行うことで、ご自身の心身の健康維持が図れることを実感してほしいと願います。

 

 

 

 

助け合いや活動・ボランティアをしている方々に話を聞くと、キッカケって『自分のため』であることが多いです。

 

『退職した(育児が落ち着いた)から何か楽しみを見つけたくって』『今まで地域と関わってこなかったから何かできないかと思って』『健康のために活動をしようと思って』『友達に誘われたから』etc

 

自身の心身活性化のために、地域での活動をはじめる方が多いです。

 

そして、そういう方々は本当に心身共に元気です。

 

 

 

 

今は世の中が便利になって、昔ほど人の手を借りなくても生きていけるようになりましたし、お金を出せば解決できることも多くなりました。

 

ただ、私は対人援助の仕事をしていて、いつも思うのです。

 

『人って、人と関わること・誰かのために頑張ることで意欲や満足感を得るんだな』ということを。

 

それを一番実践しやすく効果を感じやすいのが地域活動です。

 

 

 

 

自分のちょっとした時間と労力を地域のために使う。

 

そうすることで助かる人はたくさんいます。

 

その優しさのおすそ分けが拡がれば、景気がどうなろうが優しい社会になります。

 

優しい社会の実現のためには皆さんの力が必要なのです。

 

というわけで、気づいた人から、一歩を踏み出してみませんか?

 

きっと、楽しい世界が待っていると思います☆


2018-08-29 07:22:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は、御茶ノ水で職能団体の全大会がありました。

 

19時からあったのですが、当区でもケアマネさんが参加されており、みな、頑張っているなぁ~と尊敬しました。

 

 

 

 

さて。

 

今日は、“加藤は何でケアマネなのに、地域にそこまで関わるの?”という質問を受けたので、その話をしたいと思います。

 

結論から書くと、『社会保険・介護保険の歴史やこれからを知っている専門職として、これからの社会に危機感を覚えているから』です。

 

現在、私が感じている危機感としての課題は、次の2点です。

 

1)これから社会保険でのサポートが厳しくなる中で、保険外の料金を払えず生活が成り立たなくなる人が出現する危機があるため。

 

2)現在活動している団体の多くは70代半ばから後半が大半で団体の継続性が担保できていないため。

 

『地域づくりは包括の仕事でしょ』とかいう話も聞きますが、これ、気づいた人がどんどんバカになって進めていかないと、制度の変化に対応できません。

 

そのくらい、国は舵切りを激しく行っているのです。

 

高齢者に月数万円も生活(介護)に充てる金額を出せる方は良いのですが、年金だけで生活している方は、生きていけない仕組みになりつつあるのです。

 

そこをカバーできるのは、『地域力(地域の助け合い)』しかないと私は考えているのです。

 

 

 

 

社会の安全を『仕組み』で確保しようとすると、どうしてもコストがかかります。

 

そして、それを地域で補うことができたら、コストは浮くのです。

 

コストが浮くということは税金を余分に使わなくてよくなるわけで、結局は私たち自身のメリットになります。

 

 

 

 

例えば、ゴミ出しサポートについて。

 

当区では、おひとり暮らしの要介護2以上の方には、区の清掃業者が個別回収してくれるというサービスがあります。

 

これを利用している人が何人いるかは分かりませんが、職員の人件費はバカにならないと思うのです(行政の人件費は毎月の給与や賞与の他、共済年金もバカになりません)。

 

(書類作成・確認や実際のゴミ出し作業など)数人の人件費と、ガソリン代は最低でもかかるでしょう。

 

これ、高齢者宅の前を通る時にお隣さんがついでにゴミを持っていってくれたら、コストは0で済みます。

 

この浮いたお金で、別の必要な事業にお金をかけたり、住民税を下げたりすることができるのです。

 

 

 

 

国や行政の仕組みで守ってもらうということは、便利だし楽です。

 

一方で、それを維持することは莫大なコストがかかるのです。

 

そして、人口バランスの崩れた日本は、社会保険料(年金やら医療費やら介護費)は上がるのに、納税者が減っている今、それだけのコストをかける余裕はありません。

 

もう一度書きます。

 

今 、 日 本 は 余 計 な お 金 を 使 う 余 裕 は な い の で す 。

 

だからこそ、国や行政の仕組みに依存するのではなく、私たち自身ができることを担っていくことが、とてもとても大切なのです。

 

これから少なくとも5年以内にこの切り替えを行わないと、大変な社会になると私は考えています。

 

誰のせいとか、誰が悪いとか、そういうことを言っている時間はないのです。

 

気づいた人から行動していかないと、日本はとても危険な状態になるのです。

 

 

 

 

と、なんだか今回は脅しのような内容になってしまいました。

 

不快に思われた方がいたら、もうしわけありません。

 

そして、私は社会保険を知る立場(専門職)として、地域にそれを伝えていくことが役割だと考えています。

 

だから、こうして地域活動を行っているのです。

 

というわけで、2)については、明日書かせていただきます☆


2018-08-28 08:29:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は2回目の更新です。

 

これ・・・書こうかどうか迷って“書かない方がいいかな”と思ったのですが、やっぱり書いた方が良いと思い、更新することにしました。

 

 

 

 

とある会での出来事です。

 

質疑応答の際に、明らかに回答者が答えられない質問を投げかけた方がいました。

 

回答者はガチガチの組織で動いている方ですが、その役職を担って半年たっていないため、一生懸命勉強していますが数年間活動している人に比べると、どうしても知識不測や理解不足があり、本質を踏まえた議論というのは困難な状況は明らかです。

 

また、質問を受けても組織としての返答となるため、回答者は安易に“こうです”とは言えない状況にはありませんでした。

 

そう。

 

質問者は“質疑応答”という名の通り確かに質問だったのですが、正論を述べた後に明らかに回答者が答えられない“質問”を投げかけたのです。

 

 

 

 

表情が硬くなる回答者。

 

フォローしようとする事務局。

 

一層興奮する質問者。

 

質問は、正に痛い所を突いており、きっと会場にいた方々は“確かにそうだよね”と思った内容だったと思います。

 

ただ、回答できない状況もわかるわけで、そんな時、質問者が逃げ場をつくらずに攻め続けるのは、もしかしたら一生懸命なあまり、優しさを忘れてしまったのかもしれないと感じました。

 

そして、こういう状況はたまに見かける光景です。

 

 

 

 

私は、個人的に質疑応答は何を質問しても良いと思っています。

 

今回の質問者は他意はなく、熱心なあまりグダグダの説明にジレンマを感じて興奮していったこともわかります。

 

質問自体は、非常に的を得ていました。

 

だからこそ、“もったいないなぁ”と思うのです。

 

 

 

 

正論って、時には正しすぎて相手を追い詰めてしまうことがあります。

 

そして、物事はどんな場合でも“逃げ場”って必要だと思うのです。

 

正論で相手を追い詰めてしまっていることに気づいた時、少しの優しさで“逃げ場”を作ってあげることは、様々な価値観や役割を担う人の集いでは、大切なことだと思います。

 

今回の件で考えると、質問者が行うことは、“質問を通じて回答者に考えるきっかけを与える”ことであり、それを“行動に繋げるために働きかける”までで良かったのです。

 

厳しいことは伝えてもいいんです(言わなきゃわからない人はいるし)。

 

ただ、一方で、回答者に対して“この人は質問に答えられる能力があるか?”を見極め、質問をする必要もあると思っています。

 

でないと、せっかくの良い質問も“我の強い人の自己主張”になってしまう時がありますから。

 

 

 

 

地域など、生活に密着した場での話し合いは、それぞれの立ち位置や価値観で“正義”の違いが強く影響されます。

 

これは、生活の場に限った事ではありませんが、自分が守りたいと思ったものに対しては、ついつい真剣になり過ぎて余裕がなくなることがあります。

 

だからこそ、時にその正義はやっかいで、正解がない分お互いが優しさを持って受け入れ合わないと、批判合戦になりかねないのです。

 

 

 

 

『正義の敵は、これまた正義である』

 

これは私が社会人になる前に両親からよく言われていた言葉ですが、最近はそのことを実感することが増えました。

 

そして、私自身この言葉を忘れずに、自分の正義は持ちつつ他者の正義も受け入れる人になりたいなと、改めて感じました。

 

何のオチもない更新ですみません。


2018-08-28 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午前中に入社面接と行政との打ち合わせ(冊子制作関係)を行い、午後からは地域活動に参加後、30分かけて移動し活動団体さんに面談、その後30分かけて区役所に戻り行政と打ち合わせを行いました。

 

そして、夜は地域で活動している方との交流会(自転車で30分移動し参加!)☆

 

いやぁ、活動しましたね~。

 

そして、ケアマネジメント業務は全く行っていなかった私です☆

 

 

 

さて、今回はタイムマネジメントについて書いてみます。

 

ご利用者の目標設定を含め、何かを行う際は“ゴール”を決めます。

 

その時に、確実に達成するためのスキルとして、“時間の逆算法”が有効です。

 

これ、主婦の方やヘルパー経験者は得意かもしれません。

 

 

 

 

私がこのことを意識したのは社会人になってからです。

 

23歳で訪問介護のサービス提供責任者となった時、ミッションと持ち時間を照らし合わせ、逆算方式で手順書を作成していました。

 

例えば、“掃除”というミッションがあった時、優先順位を確認します。

 

浴室とトイレは絶対に行ってほしいとか、掃除機かけは行ってほしいとか。

 

それを確認したのち、作業を細かく分割してそれぞれに何分かかるか計算します。

 

という作業を瞬時に頭の中で整理しながら、手順書をつくっていました。

 

そして支援を行う際は、終了時間を意識して「後〇分あるから、これとこれを優先して行おう」というように、全体の時間とやることを意識しながら進めていました。

 

 

 

 

このスキルは、今でも私の中で役立っています。

 

目標がある時や(締め切りのある)何かをしなくてはいけない時、俯瞰的に全体を見て、持ち時間から行う内容の優先順位を立てて、何に対して何分かけて行うかを考え目安をつくります。

 

そして、スケジュールに組み込んでしまうのです(ToDoリストではなく、スケジュールにダイレクトにブチ込むのです)。

 

些細なことですが、これを習慣化するのとしないのとでは、時間の過ごし方が全然違います。

 

時間は有限だし、目まぐるしいスピードで過ぎていく現代だからこそ、自分の仕事や時間をマネジメントする力が問われると、私は思うのですよね。

 

でないと、目の前のことに追われたり集中力を欠くため、非効率的な動きとなってしまいます。

 

皆さんは、普段の時間の使い方について、どのような工夫をしていますか?


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