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2019-04-21 07:42:00

訪問をありがとうございます。

 

今日はいよいよ選挙当日ですね。

 

国民の政治に対する意識に興味のある私は、投票率が気になって仕方がないです。

 

今は、どのくらいの方々が自分事として政治を捉えているのかなぁ~☆

 

 

 

 

さて、今日は勝手に『ケアマネジャーの今後』を予測してみたいと思います。

 

これは私が審議会や今までの推移から勝手に予測しているだけなので、“へー”程度にお読みいただけたら嬉しいです。

 

まずは、ケアマネジャー自身の話を書かせてください。

 

今のケアマネジャーがこのまま今のスタンスを貫いた場合、自分達の頑張り(と感じている量)に比例して社会的評価を受けたり地位が向上することは、かなり厳しいと感じています。

 

その理由は、『他者目線がなく被害者意識で猛進し、しかも視野狭窄(個別ケアマネジメントに力を入れ過ぎ)』だからです。

 

 

 

 

ケアマネジャーの役割って結構たくさんありますよね。

 

ご利用者の個別ケアマネジメントはもちろん、その中でアドボケート(代弁)機能、個別ケースからケアマネジメントの体系化を図ったり、全体の質向上のスキル構築(計画的な教育システムの構築)、多職種連携ネットワーク作りetc

 

様々な役割がある中で、個別ケアマネジメントだけに力を入れて『私たちこんなに頑張っているのに、何で結果が出ないの!?』と憤ったり、声高に『頑張ってますコール』をすることに対して、私は違和感を感じています。

 

しかも、その個別ケアマネジメントが本当の意味で周囲に波及するほど意味のあるものができていたら良いのですが、(私の見る限りですが)結構なケアマネジャーが『言われてることはやってますよ』『私は頑張っているんだ』という、自分目線・行政目線で頑張っているんです(しかも受け身で・・・)。

 

これじゃあ、いくらケアマネジャーが『頑張った』ところで、悲しいけれど思うような評価は受けないだろうな~、と感じています。

 

とにかく、ケアマネジャーの大半が『自分目線で受け身体制(言われたからやる、みたいなマインド)』なんです。

 

 

 

 

しかし、悲しいことに、世間は『相手(ご利用者やその家族や保険料を支払っている方々等)の目線で評価している』のです。

 

どんなに自分が労力を費やしていても、受け手が満足していなければその評価は低いのでです。

 

マズいラーメン屋で、いくら店主に『俺が丹精込めて作ったラーメンはうまいだろう!』と言われても、マズいラーメンはマズいですよね。

 

いくら『俺がこれだけ頑張ったんだから、このラーメンに1万円払え』と言われても、マズいラーメンにそこまでお金を払おうとはしないですよね。

 

このことに気づいて、『自分達の行動は、ご利用者や関係者にどう映っているんだろう?』という視点を持つこと、そして『広い視野で、今自分が求められている役割をきちんと把握し、バランスと優先順位を持って役割を遂行する』ことができないと、ケアマネジャーの未来は厳しいものになると思っています。

 

一言で言うと、『もっと俯瞰的視点をもって、戦略的に自分達の言動をデザインして行動しないと結果は出ないよ』ということです。

 

これは、4年前に田中滋先生や佐藤信人先生も話していましたが、『ケアマネジメントはなくならないが、ケアマネジャーがこれからも必要とされるかは分からない』という部分に集約されていると感じています。

 

 

 

よく、『ケアマネジャーの存在は大切だ』という方々がいますが、私もそう思います。

 

が、社会保障を縮小していく中でケアマネジャーの優先順位は、恐らく『マスト』ではなく『ベター』に成り下がり、要介護3以上の重度者に対して、医療連携・対人援助技術ができるケアマネ以外は淘汰される傾向に流れると思います。

 

この『制度の中で、自分達がマストになれずベターに成り下がってしまった原因は何だろう?』ということを、他者に責任を押し付けることなく、真剣に考えることができ、かつ、行動に移すことができた時に、ケアマネジャーの評価は本来自分達が求めているものに変わると思っています。

 

 

 

 

では次に、制度自体の経過と社会保障費等の推移の視点から考えてみます。

 

介護保険創設当初は、ケアマネジャーは制度の中の『法の番人』として、介護保険料を正当に活用するための監視員として位置づけられていました。

 

が、社会が複雑化する中で、求められている割合は増えていき、同時に不景気やテクノロジーの進化等で『増えた役割を効率的に対応していく』ことが求められています。

 

たまにAIでケアマネジャーは不要になると懸念している方々がおられますが、多分杞憂に終わります。

 

ただ、『今後はケアマネジャーの質担保という視点で、少人数の事業所は統合していく傾向にある』と同時に、『ケアマネジャーは重度化に特化していき、必要絶対数は減る』と私は考えています。

 

これは質と予算の関係から予測しています。

 

つまり、ある程度ケアマネジャーを1ヶ所に集中させて、その中で教育できる仕組みをつくること。

 

そして、予算の関係から、軽度者は総合事業に移行し(委託としては必要性が残る)、介護保険で必要とするケアマネジャーは、実質現在の4割程度で済むような仕組みになっていく(介護保険制度の中での活躍の場は減る)と、私は予測しています。

 

そんな感じです☆

 

 

 

 

ケアマネジャーは現段階でなくなるという視点を国は持っていないと思います。

 

が、今後のケアマネジャーの言動如何で、その考えは変わると感じています。

 

同時に、看護師やリハビリ職など、医療分野は虎視眈々と個別マネジメントや地域マネジメントの勉強をしています。

 

そして、いわゆる軽度者と呼ばれる方々は、今後介護保険という制度枠から地域事業という枠に移行するということは、昨年度から導入された、自治体ごとのインセンティブや地域力を上げることの必要性につながっています(この部分は書き出すと長くなるので割愛しますが、重要な視点です)。

 

私たちケアマネジャーは、この状況をどう打破していきたいと考えるのでしょうか?


2019-04-20 06:35:00

訪問をありがとうございます。

 

先は、サービスBの合間にWAMの昨年度の報告書をまとめたり、今年度の申請書を作成したり、行政訪問をしていました。

 

で、サービスB終了後は、ウグイスおばさんをしていた私です。

 

今日は応援最終日なため、8時半から13時までお手伝いをします。

 

これを更新したら、1時間ちょっと勉強しお手伝いに向かいます☆

 

 

 

 

さて、今週に入ってから、たくさんの方々の選挙活動を観たり聴いたりしている中で、いくつか共通点があることに気づきました。

 

一般的に、集団をまとめ上げる時の手段として『仮想敵』をつくることが有効という事実はあるのですが、結構な割合で候補者の方々は、国や行政を仮想的に仕立て上げていることが多いということ。

 

区の財源を活用して福祉や教育に投資するべきということ。

 

人とひとの交流ある地域づくりをすることで、過ごしやすい地域をつくるということ(これも財源ありきの話)。

 

福祉の課題を解決することで、当区を住みやすい社会にするということ(これも財源ありきの話)。

 

つまり、『今の行政を仮想敵として、当区は財源がたくさんあるんだから、そのお金を遣って社会課題(貧困・住居・孤立・教育・相談窓口等)を解決しようよ』というものです。

 

そして、どうしてもこれらの公約が腑に落ちないのは、私だけでしょうか(候補者の批判ではなく疑問です)。

 

 

 

 

根本的な話になると思いますが、そもそも、なぜ『社会課題を解決するのに行政の財政ベースで考えるのだろう?』ということが私にはよく分からないのです。

 

当区の場合は確かに財源が多く、そのお金をもっと住民のために遣おうということを伝えているのは分かるのですが、『そんな行政任せの対処療法的な公約を掲げるのではなく、根本解決の公約をする人が一人くらいいても良いのになぁ~』と思ってしまうのです。

 

財源の用途に関する公約は、あくまでも手段の話であり、地域課題の解決の手段をどの候補者も『行政の手腕とお金で、今の地域課題を解決できる』と謳っている候補者に違和感を感じているというか。

 

マジョリティー(多数派)から外れた人は、何でも専門家につなげれば解決するという対策自体が、なんか違うというか。

 

自助→公助の感覚って、いくら財源があっても継続不可能と考えないのかなぁ〜というか。

 

本気で公約通りに動くことが正しいと信じているなら、かなりヤバいぜ…と思うわけです。

 

で、よく考えたのですが、根本解決に向けた話をすると、それは住民にとってあまり耳障りの良い言葉ではなくなってしまうからかもしれないということに気づきました(要は公約よりもとにかく票が欲しいんだな、と思うことで、自分を納得させました)。

 

そして、私が政治に関わるとしたら、どんなことを主張したいと考えるかを想像してみました。

 

 

 

 

しつこく書きますが、昨年10月1日時点の日本の総人口は1億2644万3000人です(外国人含む)。

 

高齢化率は28.1%で、3557万8000人です。

 

15歳未満は12.2%で、1541万5000人す。

 

そして、いわゆる“生産年齢人口”と呼ばれる人口は59.7%の7545万1000人と、昭和25年以来最低人数であり、これは外国人も含まれます。

 

さらに先日のニュースであげられた“引きこもり者120万人超え(恐らく実際は倍以上いるでしょう)”や“フリーランス労働者170万人”等のニュースを合わせると、昭和25年どころではなく、とんでもなく生産労働人口は減少しています。

 

また、WHOが“今後は精神疾患が生活習慣病を抜いて1位になる”と言われているくらい、今の社会は生きづらさを感じている人が多く、現在就労してるからと言って、今後の労働力を数字だけ見て予測することは危険だと感じています。

 

他、経済でみると、どの産業も国の管理が極めて強く、創意工夫を生むことが困難になっている状況です。

 

これらのことから、現状の社会制度自体を見直さない限り、日本が明るい未来を描くことは極めて難しいと私は分析しています。

 

 

 

 

で、ですね、これらを解決するには、以前から書かせていただいていますが、“条例を上手に使って自治体ごとに、住民・地域企業・行政が三位一体となって地域活性化・地域力向上に取り組む”しかないと思うわけです。

 

後は、“個人の課題を個人や家族で解決するのではなく、社会で解決するようにマインドを転換する”ことが必要だと思います。

 

言い換えると“自己責任から社会責任に”で、“個人の課題は住民の課題”です。

 

※ここでいう社会とは、個人の集団や企業を指しています。行政は社会を補完するための機関でしかなく、行政に課題解決を委ねること自体が根本的に違うと私は考えてます。

 

 

 

法律を変えるというということは管轄が国になるため長い時間を要しますが、条例を使って、企業の規制緩和と地域活動をする人たちを守るためのルール整備をする。

 

地域(中小)企業は大企業と違って、財源含む安定性には欠けますが、その分小回りは利きますし、経営者でありながら自分自身も地域住民という場合も多く、同時に地域密着の視点を持っているところが多いです。

 

だからこそ、行政と地域企業が協働し、どんな形にすることが地域にとっても企業にとっても良い形になるかを話し合いながら規制緩和を行っていく。

 

同時に、住民は“健康で毎日を過ごし孤立・孤独にならない為には、自分が行動しないといけない”とマインドを変える。

 

そして、マインドの転換ができた人が、自分の居場所を探せるためのプラットフォームを、地域団体と企業が創り上げる。

 

他、地域で集いの場というか、いつでもフラっと行ける場所を地域(できれば包括エリア範囲)につくり、そこにボランティア相談員(教育を受けた地域住民)が常駐する。

 

ふらっと来た人が何となしに雑談をする中で、意外に住民同士で困りごとを解決できることってたくさんあると思うのです。

 

専門家につなげば、確かに安心かもしれませんが、私はもっと住民には力があると思うんですよね。

 

 

 

 

そんなわけで、もし私が公約を掲げるとしたらこんな感じになるかな、と思いました。

 

『自己責任からお互いさまへ』

 

“区内に21ヶ所、地域の『誰でもスペース』をつくります。そこで地域住民がコミュニケーションを取る中で、地域では解決できない課題を、行政につなげることのできる仕組みをつくります。同時に、皆さま(区民)が、自分に合った居場所と活躍の場を選べるような仕組みをつくります”

 

 

 

物事って円錐(えんすい)で、見る角度によって三角形に見えたり丸に見えたり球に見えたりします。

 

どれが正解とか不正解ではなく、まずは“自分が選挙に立候補するならどんな公約を掲げるかな?”と考え、自分の考えた公約に近い候補者を応援するのも、目指すまちづくり実現の一つかもしれません。

 

なぁんて、朝からダラダラと考えていた私です☆


2019-04-19 07:32:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午前中に税理士さんと打ち合わせをしたり、WAM助成金の書類準備をしていました。

 

午後からは選挙のお手伝いをし、夕方は友人とその知り合いの方と楽しい時間を過ごしました。

 

 

 

 

さて、今日はその夕方にお会いした方について書かせていただきます。

 

訪問看護ステーションの代表の方なのですが、とても素晴らしい理念と取り組みをされているのです。

 

看護師の他保健師の資格も持ち、看護学校卒業後は3年間、(名実ともに)有名な大学病院に勤務し救急を担当していました。

 

そこで、救急車を呼んだがために搬送後1~2時間でチューブだらけで逝去される高齢者の方々や、搬送後症状が安定しても自宅に帰宅するのに受け皿が不十分なため自宅に戻れない方など、仕事を通じて様々なジレンマを抱えていたそうです。

 

そして、一番厳しい救急外来で3年の経験を経て、『全ての人に“家に帰る”選択肢を』という理念の下、訪問看護ステーションを立ち上げました。

 

同時に、立ち上げで多忙な中にも関わらず、3年間大学で勉強し在宅専門の資格を取得されています(努力家兼勉強家です)。

 

現在は、ご利用者の転居に伴い当区にサテライトを開き本格的に稼働するとのことで、ご挨拶に来てくださいました。

 

 

 

 

で、ですね、この方のすごいところは、障がい児・重度中心の医療ケアが必要な児童も積極的に支援しているところです。

 

また、その中で、障がいを抱えるご両親が一人で悩みを抱えており孤立化していることに課題を感じ、ご利用者親子と職員やその子どもで遊びに行く機会をつくっているのです。

 

それも、地域の保健師等地域資源を巻き込んで、障がいをもったご両親が地域とつながる機会を設けているのです。

 

 

 

 

この時に話した彼の言葉が印象的でした。

 

『障がいのある子と職員の子ども達とが、当たり前に一緒に遊ぶ体験というのを大切にしています。

 

私たちは口で何と言っていても、どうしても差異を意識してしまいます。

 

でも、小さい頃から先入観なく一緒に過ごす時間をつくれれば、この子たちが大きくなった時には、本当の意味でノーマライゼーションの実現ができると信じています』。

 

 

 

まだ30前の方が、熱い想いを行動に起こしているのを知り、本当に本当に嬉しくなりました。

 

そして、たくさんの元気をいただきました。

 

地域には、本当に熱い想いを抱いている方々の熱意や行動で成り立っている部分が多いです。

 

改めて、そういう方々の想いが社会に拡がるよう私は何ができるかを考えると同時に、元気をいただきました。

 

出逢いに感謝です☆

 

皆さんの周りには、周囲を巻き込める熱意を持った方はおられますか?


2019-04-18 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午後から健康マージャンがラポールで開催され、夜はケアマネ倶楽部に参加をしました。

 

ケアマネ倶楽部は区内の有志でつくったケアマネジャーが主体的に勉強する会ですが、自走できる団体になったことが一番嬉しいです。

 

ケアマネジャーは真面目です。

 

その頑張りがきちんと社会に認めてもらえるよう、意欲のある人がきちんと評価をされるように、地道ですが一つひとつ活動をしていってほしいと思います。

 

 

 

 

さて、ここ最近、様々な統計結果が国から出ています。

 

人口推移、引きこもり人口数、フリーランス数etc

 

皆さんは、こういう数字をどのように読み取っていますか?

 

私は、統計のタイトルと数字から、『どの機関が何をしたいのか?』を予測するために活用しています。

 

 

 

 

例えば、40~64歳の引きこもり数が推計60万3千人いると先日ニュースで流れ、追い打ちをかけるように政府から、特定の年代に対しての集中支援を行うというように検討すると言い出しました。

 

タイミング的には、今更感があり最悪です(引きこもりをしている方々は大半が7年以上です。これを3年で社会復帰まで持っていくのは困難だろうし、受け皿の企業が続々と出るとは考えにくいです。そこにお金を投資するかという感想が、私にはあります)。

 

で、統計結果の話に戻りますが、数字としては、社会に『お~、予想以上に多いんだな』というインパクトを残しています。

 

で、ここで『なんで40歳以上の引きこもり数を急に取ったんだろう?』ということから考えるのです。

 

語弊があるかとしれませんが、恐らく現在引きこもりをされている方々の生活は、その親が担っている場合が多いでしょう(親の年金で生活している)。

 

その親が、いよいよもって後期高齢者に片足をかける年齢になっている(既になっている方も多い)。

 

つまり、『後20年以内に、親の亡き後生活保護受給者が増加するリスクが高い』ということが簡単に予測できます。

 

また、『親が介護を必要となった時に、虐待が発生するリスクも高くなる』という予測もできます。

 

その時に、『政府として何もしていないということは問題になるだろうから、今更ながら対策を打って出たのではないだろうか?』というのが私の予測です。

 

うがった見方ですが、遠くは離れていないと思っています。

 

 

 

どんな時代も必ず変化はありますが、時代の過渡期である今は、特に不確定要素が圧倒的に多いです。

 

その不確定要素を少しでも軽減するには、単に数字を見るだけでなく、その奥を見ることが大切で、これができたらかなりの強みになると思います。


2019-04-17 07:11:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、一日車に乗って知人の活動を応援していました(えぇ、相変わらず低い声でマッタリと)。

 

2日連続快晴の中にいて日焼けしまくりですが、本人はもっと大変なはず。

 

どんな想いでも熱意を持って取り組もうとする方は、全力で応援しようと思っています。

 

 

 

 

さて、今日は昨日の出来事について書かせていただきます。

 

昨日、金融関係の方とお話をさせていただいたのですが、とても楽しくて1時間以上高テンションで話をしてしまいました。

 

話の内容はいつものごとく、仕事に対する可能性と地域活動システムの布教活動です。

 

で、ですね、私は以前から書かせていただいている通りあざとい人間なので、誰に何を伝えるかとその伝え方を人によって変えています。

 

内容は一貫していますが、相手によって伝え方を変えるといった方が良いかもしれません。

 

仕組み自体を楽しみながらトコトン考え尽くすのですが、それは私が楽しいと感じて取り組んでいることなので、一緒に活動する人は『あ、それいいね!』と一緒に楽しんでくれる方々と取り組みたいと思っています。

 

 

 

 

具体的にどんな伝え方をするかというと、例えば、金融関係の方々には『皆さんは、地域の企業さんの実態を一番ご存知だと思うので、単にお金を貸し借りだけではなくて、きっと本当のミッションは企業と企業や人とひとをつなぐことで社会を発展させることなのかもしれませんね』という感じです。

 

ここに喰いついてきてくれた方には、地域づくりの仕組みをご説明させていただきます。

 

残念ながら喰いついてくださらない方には、『こんな活動をしていておもしろいんですよ~』程度に、サラッと伝えて話題を変えてしまいます。

 

なぜこんなことをするかというと、人は作業の奥に意味を持つことのできた時に『やる気スイッチ』が押されると思うからです。

 

作業のみに捉われている方は、私とは多分思考が違います(それが良いとか悪いとかではなく、単に違うというだけです)。

 

レンガを積む職人の話がありますが、あんな感じです(レンガを積んでいる職人に声をかけたら、1人目の職人は『レンガを積んでいる』と答え、2人目の職人は『レンガを積んで壁を造っている』と答え、3人目の職人は『レンガを積んで家の壁を造っているんだよ。私はある人の為に家を建てているんだよ』と答えたという、アレです)。

 

つまり、見た目は同じ仕事をしていても、それぞれの仕事に対しての目的や意味づけが人によって違うわけで、それは成果の違いにつながると考えているのです。

 

 

 

 

私は様々な活動を行う中で一つだけ決めていることがあるのですが、それが『全力で楽しみながら行う』ということです。

 

だから、一緒に活動をする方は楽しんで取り組める方と進めていきたい。

 

そんなことを考えながら、様々な方に色んな形で地域活動の話をしています。


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