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訪問をありがとうございます。
昨日は夕方から名古屋にいる私ですが、たくさんの方々と関わる中で、『他者を通じて自分を知る』ということに重きを置いて接しています。
日々、気づきと勉強ですね。
さて。
今日は『期待しない』という言葉について考えてみました。
昨夜気づいたのですが、この言葉って使い方によって大きく意味が変わるのですね。
ネガティブな『期待しない』とポジティブな『期待しない』。
同じ言葉なのに、全くもって意図することもその意味も大きく違っている。
昨夜はそのことに気づきました。
ネガティブな『期待しない』については、相手を突き放す意図を持っており、特定の物事や人に使われる気がします。
それって、一見悪い意味に感じるかもしれませんが、実はそうではないと私は感じています。
今まで期待していたけど、それが報われなかった・叶わなかったから、『期待しなく』なったわけで。
スタート時には相手に対して『期待を持っていた』ことになります。
そう考えると、期待されることが好きな人にとっては、誰かに『もうあなたには期待しない』と言われたとしても、(かなりの地道な努力で)挽回することはできると思っています(まぁ、個人的には、他人様に期待されたことで何のメリットも感じないし、モチベーションも上がらないので、興味ありませんが・・・)。
そして、ポジティブな意味での『期待しない』ですが、これは私自身が10年以上意識している考え方です。
誰に対しても初めから『こうしてくれるだろう』という期待を持たないのです。
これは一見ネガティブなように感じるかもしれませんが、『初めから相手に期待しなければ、何かやってもらった時に感謝の気持ちが生まれる』という考え方です。
まさに、自分が楽になる考え方です。
この思考、本当にお勧めです。
もう、誰が何をしてくれても感謝の気持ちしか生まれないし、それが相手に伝わることによって、さらなる良好な関係性を育むことができるのです。
人様を変えることはできないので、そこに『怒り』というパワーを使うことは非生産性でしかないと思うのです。
私は、同じ事象でも楽しく物事を捉えたいと考える人間なので、この考え方を意識するようになってから、人との関わりがだいぶ楽になりました。
そして、自分がご機嫌でいると、ご機嫌な人が集まってくるのですよね。
これは本当に良いサイクルだと感じています。
ちなみに今の私の中での課題は、自分に近しい人にほど、うっかりすると『期待してしまう』のですよね。
主として、家族や同じ想いを持っている方々に対してです。
でもそれって、ただの甘えなんですよね。
はい、反省します。
そんなことをイロイロ考えていたら、私にとって『期待』というものは、『自分に都合よく解釈するための言葉』という結論に達しました。
『言わなくてもわかってくれるだろう』とか『きっとやってくれるよね』という期待は、その時点で課題を相手に押し付けてしまっているというか。
モチベーションは自発的な感情ですが、期待は受け身ですものね。
・・・という、気づきの話でした。
皆さんは、どんな時にどんな人に期待感を持っていますか?
自分の傾向を知ると、対人が少しスムーズになるかもしれないですね。