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訪問をありがとうございます。
GWは、家族でどこかに出かけようと話していましたが、色々モロモロあり、今年は夫と子ども達に許可をもらって、昨日・今日と2日間、トコトン考える時間に充てることにしています。
今日の出社予定もキャンセル☆
本屋と喫茶店を転々として、読書をしては思考して今後の行動を考える・・・を繰り返します。
なんて。
何やっているんですかね?
『思考』☆
これ、得意な人と苦手な人がいると思いますが、私は考える事が大好きです。
そこで、今回は、『思考を行動に移すまでの過程』について、書いてみることにしました。
めちゃめちゃマニアックなので、興味のある方のみ、お読みくださいませ。
私だけかもしれませんが、“これ(課題)について解決をしたい”という考えが生じた時、まず行うことは『徹底した情報の集約・分析』です。
その時に、最低20以上のデータや文献を読み漁り、まずはその(解決したい事象の)正体を知るという感じです(自分の知っている知識だけでなく、客観的数値の事実と、他者の見解もトコトン調べる)。
現在は情報過多の傾向があるので、1つ2つでは信ぴょう性に欠けるんですよね。
だから、トコトンたくさんの情報を修得し、その中で信じていい情報と信じてはいけない情報を振り分けるのです(これは訓練ですね)。
こんな感じで、まずは『課題の現状を(できるだけ)正しく知る』ことを行います。
また同時に、様々な立場から見て、その課題はどんなものになるかを考えます。
自分だけの課題なのか?社会的な課題なのか?社会的な課題の場合、それぞれ関わる人達の立場から何が課題になっているのか?という感じで腑に落とすのです(わかりにくかったらごめんなさい)。
その後、理解できたものに、新たなものを『足したり引いたりしながら』様々な変化を想像します。
『これとこれを組み合わせたらどうなるかなぁ~』みたいな感じです。
もしくは『これとこれを組み合わせてこうなって、その後、これを足したらどうなる?』というように、トコトンいじくりまわします。
自分の持っているリソースを組み合わせたり、それ自体を持っていない場合は、どうすれば新たなリソースを入手できるかも考えるのです。
『どうしたら、最小の力で最大の効果をあげられるか?』を考えるのですよね。
そして最後に、散々想像したパターンの中で、どれが一番良いかを考え選択します。
緊急度と重要度や・倫理観と利益のバランス・利己と利他とか、様々な角度から考え抜き、ベストな選択をします。
これが、行動に起こす前の準備であり、方向性を決めるための私の手順です。
時々、『結論(こうしたらいいんだという考え)』が浮かぶこともありますが、その時も、情報集約をして妄想にふけり、自分の考えたことが最も効果的かを考え抜きます。
次に、『自分の考えたことが本当にベストなのか?』を確認します。
これは、10人以上のバックグラウンドの違う人に話を聞いてもらい、意見をもらうという作業です。
独りよがりだったりすることは避けたいという想いと、何度も話をすることで自分のイメージをより具体化する、という効果を狙っています。
また、反対意見については、どんな部分に引っ掛かったか、何をどうすれば良い形になるかを、かなりしつこく確認します(ここで大抵の人に面倒くさがられる)。
そういう意味では、他人様に迷惑をかけてしまいますが、私にとっては、賛成意見の人より反対意見の人の方が参考になるのですよね。
ここまで終われば、あと少しです。
多角的視点から意見をもらって、良い反応であった時は、『アウトプットの仕方』を考えます。
対象者に納得(賛成)をしてもらわなければ、どんなにいいアイデアも行動に移すことはできません。
そのため、対象者についての特性も理解した上で(理解していなかったら、ここでも徹底的にリサーチする)、どういう伝え方をすれば伝わるか?反対された場合に、どこまで自分は譲れるかを考えます。
こんな感じで、伝え方まで考え抜いたら、その後は、ひたすらタイミングを図るという・・・。
で、タイミングがきたら、何も考えずに一気に行動に移します☆
改めて書くと、『あ~、私ってつくづく面倒くさい人間だなぁ~』と思います。
これは、どんなに小さい事でも大きい事でも同じような手順を踏みます。
面倒くさいのですが、自分が現実と混同してしまうくらい腑に落とさないと(覚悟を決めないと)、私は途中でブレてしまうのですよね。
言い出しっぺが途中でブレると、巻き込みたい人達は混乱します。
混乱すると、チームとしてのまとまりは持てなくなり、そうなると、想いは結果に繋がらないのです。
だから、トコトン追求して考え抜く☆
このスパンをいかに短期間で行えるようになるかが、私の課題です。
あ~、なんか休日のせいか、グズグズの文章になってしまいました。
大切なことは、“妥協せずに最善の方法を考え抜く”ことと、“徹底して細部までイメージすることで実現可能性を高める”なんだと思います。
って、今回の内容、
た っ た 2 行 で ま と ま っ て し ま っ た よ 。
皆さんは、普段、何かについて考える時、どんな思考法で行動まで繋げてますか?
良い方法があったら、教えてくださいませ♪
訪問をありがとうございます。
昨日は、午前中は出社し2件の用事を済ませて、午後から職能団体の自主勉強会に参加してきました。
今回は、2年間の面談技法を学ぶ勉強会の一区切りという事で、修了後に打ち上げを行いました。
とても楽しかったです(何だか今週は毎日飲んでいる感じが・・・)♪
東京都の職能団体では、自主勉強会がいくつかあります。
そして、研究事業になると助成金(?)を受けることができるのですね。
この、専門職として研鑽する姿勢というのはとても素晴らしいと思っていますし、自主的に取り組んでいるという部分が、主体性を引き出していて、毎回学ぶ事が多いなぁ~、と感じています。
オタクな私は、制度に対する理解も重要だと思いますが、そもそも相談援助者である私たちは、面談技術を向上する取り組みは大切だと感じています。
土曜日に3時間の勉強会機会を定期的に持つ。
初めのうちは毎月行われており、しかもロールプレイを撮影し、それを見ながら振り返るという結構なハードルの高さに、挫けてしまいそうになることも何度かありましたが、様々な場所から集まった仲間と、それをまとめてくださる方がいたからこそ、2年間学び続けることができたと思います。
21技法を座学で学び、2人一組でセリフを読んで体感し、ロールプレイを行う事でその効果を体験し(技法活用の難しさを実感し)、テープ起こしから書面化、等々・・・和やかな雰囲気でしたが、内省することが多く、本当にヘビーでした。
そして、今後は、これを地域で展開できるようにするため、今回は具体的に打ち合わせを行いました。
ケアマネジャーの資質向上に取り組んでいる方々と接すると、本当に頭が下がります。
私は、学べば学ぶほど落ち込み、日々の実践で学んだことを意識して活用していますが、本当に技法を体得するには、長い年月がかかるだろうなぁ~、と実感しています。
そして、技法は手段であり、大切なことは利用者への興味と向き合う姿勢、ここを忘れてはいけないと、改めて感じました。
ファシリの先生には、今回、アンケートに記載したお礼という事で、先生の執筆した本をいただきました。
そこに書いていただいた言葉を胸に、来週から改めて取り組んでいきたいと思います。
自分と向き合う事には勇気がいりますし、気持ちを上手にアウトプットすることは本当に大変。
だからこそ、私たちケアマネジャーが専門職として、利用者に寄り添い、その想いを引き出すお手伝いが上手にできたら嬉しいなぁ~、と思います。
一緒に勉強をしてくださっている皆さんに、感謝感謝ですね。
皆さんは、面談技術向上に関して何か工夫をされていますか?
訪問をありがとうございます。
今週は夜に人と会う事が多かった一週間でした。
とても楽しく、たくさんの勉強をさせていただきました。
そして、昨夜は時間が半端なく遅くなってしまいましたが、すごく楽しい時間を過ごすことができました。
自分が知らない事を知ることができるって、本当に幸せですね☆
さて。
ご存知の方もおられるかもしれませんが、26日に日本介護支援専門員協会が『居宅介護支援費の利用者負担導入についての意見表明』を出しました。
これは、財務省等からの意見に対する表明なのですが、冒頭に利用者の利用者負担導入に反対の表明をした後、『利用者による介護支援専門員の業務量の評価機能』についてと『介護給付費の増大と自立支援の阻害要因のリスク』の2点から、意見を述べています。
職能団体に対しては様々な意見がありますが、私は、そもそも職能団体とは個人の損得でなく、ケアマネジャーという資格を確立するために必要だと感じています。
そして、審議会で挙がった意見で決定に向けて動いていない段階とはいえ、早期に反対の表明を出したことを素晴らしいと思います。
私は、利用者の利用負担導入については反対です。
質云々の話や給付管理の増悪傾向も懸念としてありますが、何よりも、相談窓口にお金を導入するということは、本当に支援を必要としている人に対しての担保が図れないという事に繋がるのではないかという心配があるからです(ある意味、水際作戦だとおもうわけで・・・)。
お金のない人はセルフプランという意見もありますが、これ、今の状況では現実的ではないのですよね。
現在の日本は独居・老夫婦世帯の割合が増えています。
そうなると、セルフプランを作成するのは、本人もしくはその配偶者となります。
その時点で、要介護者(もしくは配偶者)が介護保険制度のルールを理解すること・そして給付の算定基準を理解することは、現実的に無理だと思うのですよね。
もし、それが出来たとしても、それを毎月保険者の窓口に持っていくことは、『非常に困難』だと思います。
ってか、プランをつくれるほど認知機能が高く、毎月保険者に行ける活動量を持っていたら、
そ も そ も 要 介 護 状 態 な の か ?
と疑ってしまいます。
例え、AIが発達したとして、アセスメント情報を入力すると自動的にケアプランを提案してくれるとしても、それが本人にマッチするとは限らないし、あれだけ散々言われていた個別性の尊重はどうなるのだろうと思います。
現在、セルフプランをしている方はおられます。
が、本当に一部の方々であると聞いています。
もし、相談支援に利用負担を強いるのであれば、クラウド上のセルフプランを作るための整備及び、保険者を訪問しなくてもプラン(利用票等)を提出できる仕組みを創ってから、議論をしてほしいと思います(クラウド上で完結する仕組み)。
そして、コールセンターと、困った時に訪問し対応してくれる機能を確保する。
ここが整って初めて、セルフプランの是非を含めた、利用負担導入についての議論を深めてほしいと思います。
そして、そんな状況が整備出来たら、それこそケアマネジャーもクラウド上で保険者の指定したサイトを使用し、アセスメントから実績まで入力できるようにすれば、実地指導とか不要な紙は減るのになぁ~、と思います。
そして、本当に社会保障をどうにかしたいと考えるなら、医療の縦割り(専門科ごとの)受診体制についても見直してほしいと思ってしまうのは、私だけでしょうか?
なぁんて☆
皆さんは、利用者の利用負担導入について、どう思いますか?
訪問をありがとうございます。
昨日は、集団指導とリアセスメントの勉強がありました。
尊敬する羽石先生が区内におられるって、とてもありがたいことです。
本日学んだことを忘れないように、復習をしないとと感じた私です。
リアセスメントシート自体は、ルールが細かいのでなかなかスラスラと作成はできませんが、手段として考え方を覚えていきたいと思います(なにせ、私の脳みそは形状記憶なもので・・・)。
さて。
先日、区内の知人に『加藤はいつも楽しく過ごしているようだけど、嫌な事とか悩みとかないの?』と聞かれました。
いや、ありますよ、普通に。
嫌な事というのはあまりないかもしれませんが、『大変だなぁ~』とか『辛いなぁ~』と感じることはしょっちゅうあります。
そして、その気持ちは結構しっかりと自分で実感しちゃったりしています。
『うんうん、大変だよね~』とか、『まったく、やってられないよね~』とか(ホント、自分に甘いですよね)☆
で、一通り自分を労った後は、気持ちを切り替えるために、大変なことを達成できた後のことを妄想します♪
もしかしたら、この切り替えが他の人より早いのかもしれません。
だから、楽観的に見えるのかもしれないし、行動的だと思われるのかもしれないと気づきました。
また、悩みや課題については、徹底的に思考を駆使して解決に挑みます(ここはストイックなのです)。
しかも、頭の中を整理するため、必ずノートに課題と解決方法を書き出したりして。
なんでかというと、課題は解決しないと不安として残るじゃないですか。
私は毎日を楽しく生きたいので、不安はできる限り早期解決したいのです。
なんて、本当に自分本位な思考回路ですよね。
ちなみに、私をよく知る人は、私が課題に対して考えている時は『怖い』と言います。
集中している時って、周囲の存在がなくなるのですよね(周りが見えなくなるというか・・・)。
トコトン、ロジカルにあざとく考え抜きます☆
また、突然、その場にいる人に急に質問をしたり話を始めるので、当社の職員は『また始まったよ』と思ってくれています。
いつも、私の無茶ぶりを拒否しないで構ってくれる職員には、感謝ですね。
ものごとが表裏一体というのは、本当にその通りだと思います。
思い通りに行かなくて努力を要するものほど、達成した時の感動は大きく、逆にスムーズに事が進み過ぎる事って感動が小さいというか。
手に入りにくいもので考えていただけたらご理解いただけるかもしれません。
たとえば、入手しにくいコンサートのチケットを頑張って手に入れたら(時間と労力を費やす)、手に入った時の感動はひとしおです。
逆に、予約すら取る必要がないコンサートのチケットであれば(時間と労力を費やさない)、当たり前に取れるため感動も少ないというか。
このことを実感していると、辛いことや面倒くさいことがあっても、その後の楽しい世界を想像できるので、結構前向きに取り組めたりします。
もし、今、何か課題や悩み、もやもやを抱えている方がいたら、試しにこの思考をしてみてください。
もしかしたら、少しは楽になるかもしれません(保証はできませんが)♪
訪問をありがとうございます。
昨夜は、知人と岩盤浴に行ってきました(助成金獲得と大学の合格祝い)。
ガチガチだった身体がほぐれるのって、本当に気持ちが良いです♪
思わぬご褒美に、感激の連続でした。
いつも優しい気遣いをくれるその方に、感謝感謝です。
さて。
ケアマネジャーの方々と話をする時、『これだけ頑張っているのに、なんで国は認めてくれないのか?』とか、『書類が厳しすぎて嫌になる』という話を聞きます。
そういう話を聞くたびに、もしかしたら介護保険創設時に描かれていた『本来ケアマネジャーに求められていること』が分からないから、愚痴が出てしまうのかもしれないと感じました。
介護保険が始まるにあたり、供給の保証と介護の質の担保を考え、民間の事業所を導入することで競争原理を働かせようということが決まりました。
その時に、『でも、民間事業所が営利目的で事業を行うと、社会保障(税金)としてはよろしくないのではないか?』という課題が出たのですね。
様々な支援の必要性や妥当性(整合性)の検証を措置時代は行政が行っていましたが、介護保険の導入後は利用者の拡大が予測されるため、行政の介入は不可能(人的不足)。
そのため、介護保険を本当に必要な支援のみ提供する仕組みにするため、『過剰給付を防ぎ、給付の適正化を図る』という目的で、ケアマネジャーが生まれたわけです。
つまり、ケアマネジャーは『利用者の個別性を尊重しつつ、自立に向けて給付適正化と支援の必要性(整合性)を文書に残すこと』が求められていたのです。
だから、行政が書類に拘ることは当たり前なんです(なにせ、給付の適正化を文書で残すことが一番の役割なのですから)。
しかし現実には、給付はうなぎのぼり全然抑制機能を果たしていない、実地指導等ではケアマネジャーの説明能力が低いという評価を受けるばかりか、医療系からは『ケアマネジャーの質が低い』という評価までいただいている始末。
『本来求められている役割を果たせないなら、ケアマネジャーなんていらないよね』という話が出てしまうのは、ある意味仕方がないのです。
何が言いたいかというと、『ケアマネジャーが頑張っているというほど、他機関や社会は、ケアマネジャーが何を頑張っているかさっぱり理解してもらえていない』ということです。
取り組みと求められていることが完全にずれているよいうか、向くべきベクトルが違っているというか。
これらのことから、私は今回、日本介護支援専門員協会が『管理者を主任ケアマネに』と言わざるを得なかった状況が理解できる気がします。
同時に、今回の提言はある意味、ボトムアップからできない人は切り捨てていく方向に転換したのだと、私は理解しています。
そして、多分・・・恐らくですが、今の調子で行くならば、『給付抑制』か『社会にとってなくてはならない存在』にならない限り、今後のケアマネジャーの半分以上は不要になってしまうと、私は勝手に考えています。
良し悪しは別として、自己研鑽をすると同時に社会に対してアピールする力を持たなければ、ケアマネジャーが生き残ることは難しく、多職種にケアマネジメントを取って変わられることになっても、おかしくはないと思います。
なぁんて。
今回は不安を煽るように内容になってしまいましたが、自分たち目線で物事を捉えるのではなく、多角的目線でも、何が求められているかを理解した上で、どう行動するかが大切だということを理解していただけたらと思います。
今回の改定は、過去最大のピンチでもありますが、過去最大のチャンスでもあると思っています。
私はチャンスをみながら、今後の行動を決めていきます。
皆さんは、どちらの方向を向いて、どういう行動を起こしていきますか?