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訪問をありがとうございます。
今朝は他にやらなければならない用事をしていたため、このサイトの更新を『すっかり』忘れておりました。
・・・というわけで、今更ながら、セコセコと更新している私です☆
さて。
数日前に“当社は職員の得意分野を伸ばす経営をしたい”という事を書かせていただきましたが、私の中では、ある程度個々に期待していることは決まっています。
まず、最初にどうしても入ってほしかった役割は、“中庸さのある人”です。
組織(専門職)をまとめるにあたって、私も含めて、様々な強い価値観をお持ちの方が多いです。
それをまとめるために、一番必要なものは“中庸さ”だと、私は感じたのですね。
その人材を確保したくて、彼女が入社してくれるまで、2年間口説きました。
そして、彼女の右腕は彼女自身に選んでもらいました。
これは、彼女らしさを十分に発揮してもらいたいため、彼女が信頼している人材を選定してもらったのです。
その後、当社に必要だと感じた人材は“参謀”です。
私が暴走しないように(!)、現状と思いを擦り合わせ・手綱を引いてくれる人が欲しかったのですが、その役割を担ってくださる方が、たまたま入社してくれました。
人に恵まれています、私。
本人たちへは、過度なプレッシャーをかけたくないため、其々の役割については話をしていませんが、私の中では、職員と接する中で個々の性格を私なりに捉え、明確に役割を分けています。
苦手なことを依頼して余計な負担をかけたくないという思いと、持っている力を最大限発揮してもらいたいという想いです。
本当に大人な方々なので、上手に距離感を取りながら、うまく連携してくれており、必要なことは質問したり、共通認識を持ったり、合意形成を取りながら、事務所をやりくりしてくれています。
そして、経営をする上で何よりありがたいのが、事務所内の職員同士の仲が良いことです(馴れ合いではありませんよ。お互いを尊重する気持ちがあるのです)。
おかげさまで、私自身、個別マネジメント以外は、地域を向いて全力で動ける状態を作ってもらっています。
だからこそ、地域が、シニアを中心に主体的に自分たちのまちをつくっていけるよう、できることには全力で取り組んでいきたいと思っています。
また、ケアマネジャーが地域で研鑽しあえる環境をつくり、当区の支えとなるような存在を目指して活動していきたいと考えています。
なぁんて。
今日はサービスBがあったのですが、担い手さんと話をしていて、人の持つ想いの大切さや行動の力を改めて感じ、こんな内容になってしまいました。
皆さんは、ご自身の職場内での役割は何ですか?
訪問をありがとうございます。
昨夜は、訪問・来社予定が無かったため、急きょ休みを取りました。
で、何をやったかというと、朝7時半から夜18時まで
ず っ と 道 徳 を 学 ん で い ま し た 。
私、本当にオタクだと思います。
様々な知識をつけ、それを毎日の生活で実践し、検証するのが大好きなのです。
そんなわけで、2~3時間ごとに喫茶店を廻り、お腹はタプンタプンの一日でした。
道徳は、学んだ瞬間から活かせるのでいいですよ~。
そして、これを10年以上意識して行っていたら、もしかしたら、私、聖人君子になれるかも・・・なんて考えてはニヤニヤしてました(バカですよね、すみません)。
さて。
せっかくなので、昨日の学びからすぐに使えそうなことを書かせていただきます。
皆さんは、人を見分ける力ってありますか?
私は最近になってやっと身についてきましたが、今までは『関わる人はみ~んな良い人♪』という、頭の中がお花畑でした。
えぇ、たくさん色々とやらかしたので、最近は表面ではなくきちんと人の行動を観るようにしています。
この辺りは野生の勘が効くのか、割とすんなり見極めができるようになったのですが、何となく最初から信頼できないのって寂しいような何というか・・・。
というわけで、昨日学んだ『人物観察法』はこんな感じです。
【視・観・察の3つをもって人を鑑別する】
1)その人の外面に表れた行為の善悪正邪を視る。
2)その人の行為の動機は何であるかを観極める。
3)その人の行為の落ち着くところ(最終満足)を察知する。
ちなみに、信用と信頼の違いですが、信用は“何かの担保と引き換えに信じること”、信頼は“ただその対象を無条件で信じること”です。
プライベートでは、頭の中お花畑でも構いませんが、事業を運営する以上は、信用をベースに物事を進めないといけないのですよね。
世の中の社長さんを尊敬します。
そして、日本語って、本当に面白いな、と思いました(あ、話が脱線してしまう)。
そういえば(社長と言えば)、ベネトンの社長は、新入社員を採用する時『入社という意味が分かっているか?会社が君の力に頼りたいから採用するのであって、君が会社を頼ってもらっては困る』と言ったということを思い出しました。
今日は社内勉強会で、第1回で話をしますが、解釈通知の読み合わせと会社の方針等を話そうと思います。
さて、どうなることやらとも思いますが、職員を信用して素直にビジョンを伝えたいと思います。
皆さんは、他者の観察をどのようにしていますか?
訪問をありがとうございます。
昨日は、午前中に法務局に行ったり、午後からは税理士が来社したりと、何だか『全くもってケアマネジャー以外の仕事しかしない一日』でした。
ただ、夜に5月に有志で開催する勉強会の打ち合わせで、ケアマネらしい(?)内容に触れました。
最近、業務負担が増えてきているなぁ~、と感じます。
さて。
ここ最近、地域活動の中で他機関を繋ぐということをしています。
行政では、福祉部・地域振興課・土木課(!)・オリンピック準備室、等々。
地域マネジメントに対しては学びがあるので良いのですが、各課や職員同士の関係性については、地域活動をしている住民には敵いません。
そんなわけで、朝から中心となる方々に連絡したは、『相談』という形を取り、助言をいただきながら進めています。
そして、何度か相談していると、『じゃあ来週打ち合わせしようか』と、とても前向きな提案をいただけます。
私、当区の住民のノリは大好きです。
ありがたや、ありがたや。
それでですね。
そんな活動をしている最中、ずっと気になっていたことがあるのです。
それは、『法改正・算定基準の改定により、今こそ指導課と対等な関係つくりができる』という事です。
とはいえ、私自身、ケアマネジメントに関しては第一線から外れようとしているので、『ここでしゃしゃり出ていくのもなぁ~』とか、『別に当社が何でもしなくても、誰かがやってくれているよなぁ~』と思おうとしていました。
が、
誰 も 動 い て い る 様 子 が な い ん で す 。
結局、今月も半ばを過ぎてしまったので、一昨日の昼休み前に指導課に行き、様子伺いをしてきました。
あ、もちろん、特定事業所加算算定の根拠(共同研修の部分)を持って。
結果としては、現在、指導課には誰も共同研修の話は持ち掛けていないとのことでした。
その確認以外にも結構話をしたのですが、そこで感じたことは『もったない』です。
詳細は書けませんが、この一言に尽きました。
取りあえず、第一弾だったので主旨を伝えた後、『皆さんと共同で研修を企画運営したいです。必要なら、課長にでも部長にでもお願いにあがりますよー』といって失礼しました。
そして、私自身、ケアマネジャーの対等な関係つくりに、どのスタンスで関わるかを考えこんでしまいました。
うーーーん、悩ましい課題です(とりあえず、明日の社内会議で相談しよう)。
以前からしつこく書いていますが、今回の法改正・報酬改定は、ケアマネジャーにとって創設以来過去最大のチャンスです。
立ち回り次第で、地域の中で今後のケアマネジャーの立場をつくることができるのです(ホント、ポジション取りは大切ですから!!!)。
ポイントは、『繋げて広げる』☆
複数の点を繋げて、それぞれの相手に有利を与えて、同時に自分達(地域のケアマネジャー)の願いも叶える。
その実現のために、今週いっぱいは、考えて考えて考え抜こうと思います。
皆さんの地域は、保険者・地域の職能団体・事業所の関係性はいかがですか?
訪問をありがとうございます。
昨夜は、職能団体の会議があったのですが、同時に受験した大学の合格発表でもありました(あ、私の最終学歴は短大なのです)。
無事に合格しており、ほっと一安心(書類不備が何よりも心配でした!)。
そういえば、友達も今春より大学院に入ったと連絡を受けました。
私は、ストレスマネジメントを学びたくて医療看護に特化した心理学専攻を選択したのですが、彼は政策・経済・雇用・地域を学びつつ、ゼミは介護福祉・認知症に取り組む先生について学び始めているようです。
というわけで、今春より私は『大学生』です♪
さて。
今日は、『学ぶこと』について考えてみたいと思います。
ケアマネジャーには、様々な研修機会があります。
皆さんにとっても、受けたい研修・そうでない研修とあるかと思います。
そして、今回考ていただきたいのは、『なぜ研修を受ける(学ぶ)必要があるのか?』という事です。
というのも、多分、恐らくですが、この部分が理解されていないと、受ける研修は『学び』ではなく、ただの『知識』で終わってしまうと思っているのですよね。
そもそも、ケアマネジャーという専門職として、自身のケアマネジメントスキルを向上したいから研修を受けるのだと思います。
そして、本来の目的が『ケアマネジメントのスキル向上』であるならば、『学んだことを活かしてナンボ』なのですよね。
ここ、とても重要だと私は考えています。
この部分を『知識を得たことで満足』してしまっては、スキルの向上には繋がりません。
実践して、その結果を振り返って、初めて研修がどのくらい自分のタメになったか・身についているかが分かるし、新たな課題に気づくことができるのですよね。
そして、課題についてさらに学んで、学んだことを実践して、更にそれを繰り返し・・・を何度も何度も経験することで、『身に付く(アップデート)』のだと、私は思っています。
地道ではありますが、日々の学びとそれを意識した経験と振り返りの繰り返しが、スキルの向上に繋がり、これ以外にスキルアップの方法はないと、私は考えています。
ここがきちんと理解され、腑に落ちないと、研修ばかり受けて頭でっかちになる方と、経験ばかり積んで感覚で対応してしまう(自身の支援の根拠を説明できない)方になってしまうのですよね(もしくは、独りよがりのマネジメントをしてしまうか・・・)。
これではバランスが悪いから、学びと実践は比例していくのが良いかなぁ~、だから、どっちも疎かにせず、大切にしていくことが大切なんじゃないかなぁ~、と、個人的には感じています。
かくいう私も、面接技術を2年間学んでいますが、意識して実践すればするほど、課題がボロボロ出てきて、四苦八苦する毎日を送っています。
そして、そんな課題だらけの状態も『伸びしろがあっていいね』と思うようにしています。
大切なことは、学び(研修)の場を、『面倒くさい』と捉えずに、主体的に捉えること。
そして、学んだことは実践して、振り返ってスキルアップしていくこと。
その過程では、自分を責めたり否定せずに、楽しんで(本気で、という意味)取り組むこと。
それが、大切な気がします。
皆さんは、ご自身のスキルアップをどのように考え取り組んでいますか?
訪問をありがとございます。
週末から、助成金に協力をいただく機関向けの企画書等を作成しています(先週挨拶回りをしたので、今週は企画書を持参しようという考えです)。
この企画書など資料の作成は、集中力が必要です。
まずもって、久々の企画書作成のため、企画書の作り方から調べ(お恥ずかしい)、あーだこーだと頭の中でイメージを掘り下げ考えながら、住民向け・社協向け・行政向けの企画書を作成しました。
が、なんかピンと来ないというか、伝えたいことがうまく表現できていない。
私の場合は、概要を記載した1枚ぺらの企画書と、添付としてパワポで詳細を記しているのですが、神が降りてこないと、資料作りがはかどらないという・・・。
難しいのは、自分が書きたいように書くのではなく、読み手の目線になって、『どうしたら協力してもいいなと思ってもらえるか?』を徹底して考え抜き、更に、それを言語化しなければならないということです。
文書で相手をその気にさせる。
しかも、行政とか社協とか、ガチガチの保守派の方々を・・・。
これから、さらにブラッシュアップしたいと思います。
GW明けまでには連携許可をいただきたいので、今は踏ん張り時かな、と思います。
さて。
そんなわけで、やらなければならない事に追われている私ですが、読書だけは意識的に時間を持つようにしています(重要度が高いのです)。
土日で読んだ本は、渋沢栄一さんの『論語と算盤』です。
昔読んだ時に感銘し、当社の事業の姿勢はここから来ていると言っても過言ではないのですが、新たな事業に取り掛かるにあたり、改めて読み返そうとしたら本が見当たらず、結局買いなおして読みました(我が家は本が多すぎるのかもしれない・・・)。
論語というと、堅苦しいイメージを持つ方もおられるかもしれませんが、集団生活を営む上で、とてもとても大切な教え(道徳)だと思います。
いつも書かせていただいている通り、私は特別な宗教を持っていませんが、論語から学ぶ『道徳観』は大切にしています。
まだまだの部分も多々ありますが、まぁ~そこは研鑽する気持ちが大切だと思うわけで、『あるべき論』にならないよう気をつけながら、日々、意識して過ごしています。
渋沢さんの書かれていることで一番好きなのは、『人間が勤めるべき尊い仕事は、至るところにある』ということです。
そして、本当の富とは、自分だけ良ければ(利己主義)とか、誰かを騙したり欺いて得る事ではなく、社会貢献のバランスを考えなさい(利己主義と利他主義の調和)、ということです。
つまり、『一人ひとりが自分にできることに取り組むことが大切であり、その際の判断基準は、目先の損得でなく道徳を用いてできるように、日々鍛錬してね』と、私は解釈しています。
そして、万事を尽くした後は、自然に任せるという。
ヤキモキする気持ちになることもありますが、ある意味自然の流れというか、他力に頼る部分も大切だと思うのですよね。
平たく言ったら、『やるだけやったら開き直る』。
この感覚は、大切だと感じています。
このように、この方のステキなところは、利益を否定し道徳を押し付けるのではなく、過剰な拝金主義の現代に、『バランスを考えなさいよ』ということを説いてくれていることです。
昔の人って、世の中を達観的に捉えている方が多いのか、学ぶ事がたくさんあります。
そして、私は何をこの社会に残すことができるだろうと、改めて考えてしまいました。
・・・なんてやっているから、企画書完成が遅れるのですよね。
興味のある方は、ぜひお読みくださいませ☆