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訪問をありがとうございます。
昨夜は、とある方々と、今後の当区のケアマネジャーに関わる大切な大切な話し合いをしました。
まだここで書ける段階ではありませんが、着実に動いています。
一部の方々には、やきもきさせてしまいましたが、半月くらいで大きく動き出す予定です。
さて、今日は何を書こうか迷ったのですが、当区の地域住民発信の取り組みについて書かせていただきます。
これは、私の尊敬する方の発信で取り組まれている研究会なのですが、当区で助け合い・支え合いのまちづくり構築のために、地域の活動を継続し広げていくことを目的とし、大学の設立を提案・研究する会が立ち上がっているのです。
何がすごいって、イチ区民の方が、この構想を抱き具現化に向けて地域住民や行政・社会福祉協議会だけでなく、区会議員をも巻き込んで、共生社会の視点で大学の創設や地域のまちづくりを考えて行動しているということです。
専門職が、地域包括ケアシステムだなんだと言っている最中で、さらにその先の共生社会を視野に入れて動いているこの方。
御年78歳でありながら様々なことを勉強しつつ、それらを統合的に捉えて『これからの社会に何が必要か』を考えておられます。
この方の素晴らしい所はどこなんだろうと観察をしていて、いくつか気づいたことがあるので、今日は2つほど書かせていただきます。
一つは、とにかく自ら足を運んで情報を取りに行ったり交渉をすることです。
その熱意と臨場感に心を動かされた方は多いと思います。
そして、きちんと情報を自分で取りに行くこと。
自分から情報を取り、その情報も噛み砕いて理解した上で自分に何ができるのかを考え実践されています。
腑に落としているというのでしょうか。
だからこそ、説明に臨場感とぶれない信念を感じることができるのかもしれないと思いました。
もう一つは『人を上手に頼れること』です。
やはり、一番すごいと思うところは、信念や理念があっても自分で勝手に行動せずに、きちんと筋道を立てて周囲を巻き込むことができるのです。
これは、地域(この場合は当区)というコミュニティのパワーバランスを理解していないとできることではありません。
そして何より、日頃から周囲への利他を積んでいないとできることではないと思いました。
私はありがたいことにたくさんのお手本がいるので、困った時に相談したり力を貸してもらえたりできる環境にいますし、それをありがたいと思います。
そして、それはたまたま私の周囲にそういう方がおられるわけではなく、もしかしたら意識の持ちようなのかもしれないと、昨夜、ふと思いました。
できることなら、1つでも多く尊敬する方々の良い所をマネをして、自分の技術にしたいものです。
日々精進ですね☆
訪問をありがとうございます。
最近、少し無理をすることが辛くなってきたため、就寝時間を意識的に早くした私ですが、睡眠時間を1時間増やすだけで日中の体力が全然違うことに気づいた次第です。
今までは寝る時間を押しいと思っていましたが、睡眠は大切なんですね(当たり前か…)☆
さて、昨日は一般社団法人の事務所を、地域のボランティア団体さんに使ってもらいました。
一般社団は日中空いている時間、事務所を地域活動を行う団体さんにお貸ししていますが、月に5件程度の申し込みはあります。
大半の団体さんは、社会福祉協議会のボランティア室や福祉会館・文化センター等の部屋を予約しますが、文化センター系は有料で競争倍率は高く、社会福祉協議会や福祉センターも、場所取りは苦戦している状況です。
そのため、活動場所がギリギリまで未定となってしまう団体さんも多い他、『場所の確保がストレス』というところも少なからずあることを知り、何とかしたいと思ったことがきっかけです。
せっかく良い活動を行っているのに、場所の確保が困難なためにストレスを感じるなんて、本当に今はボランティアを行うこと自体が大変になっていると思います。
であるなら、微力ながら当社が少しでも地域の活動団体のお力になれたら良いな、と思い始めたことがきっかけですが、この輪を何とか広げることはできないかと検討中です。
例えば、月2回半日程度なら研修室や会議室を貸してくれる企業を募集するとか、なにかうまい方法で『安心して活動できる場所の確保』を行う方法がないか、日々考えています☆
もし、『こんな方法があるよ』ということをご存知の方がおられましたらぜひ教えてください。
訪問をありがとうございます。
ここ最近、私なりに「助け合いを行う人と行わない人の差」の正体を掴もうとしていましたが、昨日家族と過ごしている時に少しだけ何かが分かったような気がしました。
で、いつもながら家族そっちのけで思考に入ってしまったため、またしても家族にとって「(いるのかいないのかよく分からない)頼りない人」に成り下がってしまった私です(トホホ)。
そんなわけで、今日は、「ボランティアなど助け合いを行う人のマインド」について書いてみたいと思います。
あ、これは私が勝手に考えたことなので、正解不正解はありませんので、皆さんは皆さんなりに答えを出していただけたらと思います。
結論から書くと、助け合いを行う人のマインドは、無意識かは別として「因果法則」を知っているからではないかという結論に達しました。
どういうことかというと、この考え方は仏教からくるのですが、「過剰な欲は自分を破壊する」ということを知っているのではないかということです(ちなみに私は特別な宗教は持っていません)。
私自身、楽しいことが大好きで、そういう意味では欲望だらけなのですが、この「欲」って妄想だから尽きることがないのですよね。
で、「欲」がある限り自分自身が満たされることがないので、いつまで経っても幸せにはなれないのです。
そう考えると、仏教の「小欲知足(欲と不満はほどほどに、あるものに満足して生きなさいよ)」は欲をコントロールする機能があり、これを鍛えることによって、「現状に満足する=(現状に)幸せを感じることができる」に繋がるのかなぁと思いました。
ここまでは個人レベルの話ですが、このマインドを他人に与えるところに持っていくにはどういう過程を追うのかを考えた時、「因果法則」に行きついたわけです。
つまり、「自分のキャパシティを超えて入ってきたものは、足りない人に分けてあげましょう」という言う思考なのではないかな、と思ったわけです。
自分しか考えないのではなく、俯瞰的視点で捉えて『社会がうまく回っているから自分は幸せでいられる』という視点があるというか。
“全体の中の自分”という考え方だから、自分が満足するには全体も満足しなくては意味がないことを知っているというか(ホント、ややこしくてスミマセン)。
循環ですね☆
これの典型的な例が、お金持ちの人が行う「寄附」かもしれません。
お金で分け与えると寄附ですし、自分の体力や時間を困っている人に与えるとボランティアや助け合いになるのではないかな、という結論に達したわけです。
『できるだけ欲を少なくしてあるものに気づいて満足し、それ以上のものを自分が持った時には困っている人に回しましょう』という考え方をすると、助け合いを行う方々の行動が腑に落ちたのです。
この考え方があっていた場合、助け合いを行う人たちはものすごく自然の法則に則っていることがわかります。
例えば、食料の問題について考えてみます。
今の時代は豊かになっており、全ての人間が分相応に食料を得ていた場合は、飢餓でなくなる人はいないと言われています。
が、現実にはどこかではたくさんの人たちが飢餓で困っているわけです。
これは言い方を変えれば、『どこかで自分の必要分以上に搾取している人がいる』ということです。
そして、飢餓をなくしたいと考えたら、皆が分相応に食料を得て余った分は足りない人に回せばよいのですよね。
この『分相応』を判断するときの基準時に参考にするのが『小欲知足』であり、これがぶっ壊れている人は(自分が満ちたりているにも関わらず)『もっともっと』と思うし、それが全体のバランスを壊しているのですね。
うーーーん、そう考えると、仏教が何千年も人々に支持されてきた理由が分かるような気もします。
と、こんなことを書きましたが、私は別に欲を持った人を否定するつもりはありませんし、小欲知足を勧める気もありません(第一、仏教徒ではなので…)。
ただ、助け合いを行う人のマインドは、無意識であっても、小欲知足が自分を幸せにすることを知っており、余剰を困っている人に回すことで社会はうまく回るということを知っているのだろうな、という結論に達したということを書きたかっただけです。
そして、同時に、欲の正体を考えた時、これを必要以上に持っている人は、レッドオーシャンの思考なのかもしれないと思いました(これを書くと長くなるので割愛します)。
因果法則を理解した上での小欲知足☆
私もそのマインドにいけるものなら行きたいのですが、物的欲望はないものの、どうにもこうにも好奇心という欲望が邪魔をしてしまい、その世界にはたどり着くことはできそうもありません。
あぁ、煩悩退散!!!
訪問をありがとうございます。
数日前に朝の更新を行った後、どうしても『気軽に人の相談や助けに乗れる人は、余裕以外のなにがあるのか?』について考えていた私ですが、どうやら『笑顔やポジティブ思考かもしれない』という結論に達しました。
今日以降は、この視点で社会を観察をしてみたいと思います☆
さて、今日は『行動で人を捉える』ということについて書かせていただきます。
少し前から“行動デザイン”というものを一人で学んでいるのですが、これはとても面白いです。
これはビジネスの戦略話なのですが、他の人間関係や何かを始める際の教科書として私は重宝しています(視点と思考が似ているので、とてもすんなりと自分の頭に入ってくるのですよね)。
例えば、今、私は地域で助け合いの活動が広がってほしいと願っています。
その時に見る視点として、『助け合い活動を行ってくれそうな人』を単に『60代の方々』と括るのではなく、『定年退職等して時間に余裕ができた人』というように、人の行動で物事を捉えて括るようにする、ということです。
これはある意味『相手は何のためにどんな行動をしたがっているのか』をについて深めていく作業になり、私はそういう調べたり観察して仮説を立てることは大好きです。
そして、自分で仮説を立てると、その仮説があっているか間違っているか、また、間違っていた場合どこで何を間違えたのかを検証したくて仕方がありません。
あぁ、本当に自己満足のオタク気質ですね☆
以前、このサイトでもご紹介させていただきましたが、宮沢章二さんの『行為の意味』は、私にとってとても大切な指標の一つです。
どういうことかというと、人は自分の感情を態度や行動で示さない限り、相手には伝わらないということです。
そして、自分の取った行動(言動)が周囲に影響を及ぼしていると考えると妙に腑に落ちます。
プラスの行動(言動)を取る人は、それが好きな人が集まるだろうし、マイナスの行動(言動)を取る人は、それが好きな人が集まる。
私たちは、自分で自分の環境をちゃんと選択しているのですね。
なぁんて一見真面目なことを考えつつ、『まぁ、気持ちで考えることは相手に知られないんだから良いか』と様々な想像にふけっては一人でニヤニヤしている私です。
はい、この状態が私にとっての通常運転です☆
訪問をありがとうございます。
昨日はゆったりとした一日を過ごすことができました。
こういう時に自分の一挙一動を“意識して過ごす”というのも大切だなぁ~と改めて感じました。
たまには自分を意識して過ごすというのも良いかもしれませんね。
さて、今日は『変化を楽しむ』ということについて書かせていただきます。
少し前に『何かに取り組む時は、一緒に楽しんでくれる人と行いたい』という内容を書かせていただきましたが、様々な取組を自分がしてみたり、他人様がしているのを見ていると、うまくいっているところもあればそうでないところもあります。
この差はなんだろうということを、昨夜から考えてみました。
今回は取組を引っ張っているメンバーがどうこうという視点より抽象度を上げて考えてみました。
まず浮かんできたのは、うまくいっている人は『楽しんでいる』ということです。
これは、とてもとても重要だと私の中では感じています。
“~しなければならない”という意識から行動を起こす人も素晴らしいですが、“~したい”と思う人の方が楽しそうで、周囲の共感を得ることができているような気がします。
これは多分、マインドの差なんだろうなぁ~、と思います。
“~しなければならない”は、自分の意思とは別に必要性を感じて行うところから出発しており、義務感が強いです。
“~したい”は、自分の意思で考えたものであり、自発的行動です。
最初はちょっとした意識の差でも、辛くなった時に“~しなければ”思考は、一途に想いを成し遂げようとするので余裕がなくなってしまうのですよね。
もうちょっと詳しく書くと、“~しなければならない”は、自分の感覚ではなく“世間一般の評価”に軸を置いている為、思うように進まなかった時に攻撃的・被害者的意識になってしまう恐れがあるのです。
また、周囲に対しても“私はこんなに頑張って取り組んでいるのに、どうして周囲は分かってくれないのよ”という気持ちに陥る可能性が高くなります。
これでは、人はついてこないですよね。
なぜなら、以前にも書きましたが、正義というものは人によって違くて、自分の正義に沿った行動を他人に強要したり責められても、他人からしたら迷惑なだけですから☆
反対に“~したい”と自発的思考から行動している人は、それが自分のエゴだということを理解しているので、周囲が手助けしてくれた時は感謝の気持ちを持つことができます。
“私の想いに共感してくれてありがとう”という気持ちでしょうか。
そして何より、自発的行動は楽しそうに取り組みますし、辛いことがあった時は、それを外に出すよりも内省に向かいます。
そんなわけで、個人的には今の時代だからこそ、何かに取り組むのであれば“必要性よりやりたいと思うこと”に取り組んだ方が、自分も周囲もハッピーになるため、私は良いと思います。
他にも『共通認識とゴールがある』『熱量がある』『実現後の(ポジティブな)ビジョンをみせることができる』『戦略的である』『人間関係のパワーバランスを理解(把握)している』等々ありますが、まずは楽しむことなのではないかな、と思います。
イノベーター(革新者)は全体の2.5%しかいないと言われています。
この人たちが、13.5%の人たちをどの程度巻き込めるかで、取り組みの成否は分かれると私は考えています。
なんて。
どうせ変化するなら、みんながハッピーになれる取り組みをしたいですよね。
そして、楽しみながら取り組んだ結果ハッピーになっていた、というのが、私の目指す取り組みの進め方です。